2010年10月29日
おっさん二人 信濃路を行く
1昨日から昨日にかけて 信州に行って来ました。
友人のミキオちゃんこと 高瀬幹雄君(興徳寺HP 高瀬幹雄のフォトライブラリー)が連れて行ってくれました。 ミキオちゃんは 若い頃から信州が好きで 月に1度くらいのペースで 行きます。 長野の事は 隅から隅まで知っています。 そんな彼が 私の好みに合わせて綿密な計画を立て、朝 迎えに来てくれて 自ら運転し 最後はお寺に送り届けてくれるという 何とも楽チンな旅。 これが 2回目です。
前回は 春。 小布施~大町温泉~安曇野 というコースでした。
今回は、北安曇郡池田町(いけだまち)から・・・
大峰高原七色大カエデの紅葉 を見ました。
ちょうど 幼稚園の子供たちが 遊びに来ていて、かわいかったこと・・・

そこから 今回の目的地 小谷(おたり)村に向けて ノンビリと走る。
小谷村は 南から北へ 20kmもある ナガ~イ村。 北上するにつれて 何と雪・・・
これにはビックリでした。


雪の中の ブナの林 それはそれは 美しかった。
残念だったのは 今回予定していた 雨飾山(あめかざりやま1963m、日本百名山のひとつ)の麓にある 鎌池(かまいけ)の周りを歩くことが 雪の中 スニーカーでは役立たず断念した事。
長靴が必要なんて 夢にも思わなかった。

大湯元 山田旅館
1555年、武田信玄の家臣によって発見され 以来430年の長きにわたり、わが国屈指の名湯とうたわれ親しまれてきた。

江戸期に建築された本館を含む七棟が 国の登録有形文化財となっています。

部屋の前の廊下。 私たちの部屋は 七番(7号室ではない)でした。



部屋の入り口は障子、隣との境は 襖。
ミキオちゃんが言った。
「まるで 水戸黄門のドラマのシーンみたい!」
仲居さんの フンイキも なかなかイイ。


下の廊下 と 玄関。
歴史の重みを充分に 感じさせてくれて それでいて 温かい。
おっさんたちは ウーンとうなって、
そして
心が ホンワカしてきたりするのでした。
そして 夜になった・・・


チューハイ片手に 本を読む 相棒。
湯治宿の夜は 静かに更けてゆく・・・
因みに 1泊2食で 11,000-
こんなにイイ思いさせてもらって 何だか申し訳ないような気持ちでした。
翌朝は雨

でも 何も困らない。
雨が降ったら いいこともいっぱい。
それが トシをとってよかった! と思えることのひとつ。
雨の中、見るもの すべてが シットリと美しい。

一日中 目一杯楽しんで、最後に 「蔵久」という かりんとう屋さんに 寄りました。
江戸時代に建てられた 造り酒屋のお屋敷を改造して 広大な敷地内に 店舗やカフェなどがあります。
映画「犬神家の一族」のロケ屋敷としても有名な所。
その映画にも使われた 「金屏風」の前で・・・

ミキオちゃんは 小学校の同級生。 入学した時の 出席番号が11番で 私が12番。 因みに 「興徳寺便り」にイラストを描いてくれる 神戸のセイコちゃんは 13番でした。
彼らは まったく覚えていませんが・・・
いつものことながら ミキオちゃんには 頭が下がります。
充分すぎるほどの 気を遣いながら それを見せない。
知り尽くした道なのに なお新たな発見をしながら 自らが楽しむ。 おっさん2人が 2日間もべったりと行動をともにして 疲れないのは ひとえに彼の人徳によるものでしょう。 彼の方は疲れたかな?
雨の中、フルに動きました。 気に入ったシーンがあると 車を停め 傘を差して 写真を撮りました。
そんな中の 1枚。
今後の生きるべく方向を与えてもらったような気がします。

私の住む村が こんな風に なったら・・・ これが 今の私の 大きな夢 です。
友人のミキオちゃんこと 高瀬幹雄君(興徳寺HP 高瀬幹雄のフォトライブラリー)が連れて行ってくれました。 ミキオちゃんは 若い頃から信州が好きで 月に1度くらいのペースで 行きます。 長野の事は 隅から隅まで知っています。 そんな彼が 私の好みに合わせて綿密な計画を立て、朝 迎えに来てくれて 自ら運転し 最後はお寺に送り届けてくれるという 何とも楽チンな旅。 これが 2回目です。
前回は 春。 小布施~大町温泉~安曇野 というコースでした。
今回は、北安曇郡池田町(いけだまち)から・・・
大峰高原七色大カエデの紅葉 を見ました。
ちょうど 幼稚園の子供たちが 遊びに来ていて、かわいかったこと・・・

そこから 今回の目的地 小谷(おたり)村に向けて ノンビリと走る。
小谷村は 南から北へ 20kmもある ナガ~イ村。 北上するにつれて 何と雪・・・
これにはビックリでした。


雪の中の ブナの林 それはそれは 美しかった。
残念だったのは 今回予定していた 雨飾山(あめかざりやま1963m、日本百名山のひとつ)の麓にある 鎌池(かまいけ)の周りを歩くことが 雪の中 スニーカーでは役立たず断念した事。
長靴が必要なんて 夢にも思わなかった。

大湯元 山田旅館
1555年、武田信玄の家臣によって発見され 以来430年の長きにわたり、わが国屈指の名湯とうたわれ親しまれてきた。

江戸期に建築された本館を含む七棟が 国の登録有形文化財となっています。


部屋の前の廊下。 私たちの部屋は 七番(7号室ではない)でした。




部屋の入り口は障子、隣との境は 襖。
ミキオちゃんが言った。
「まるで 水戸黄門のドラマのシーンみたい!」
仲居さんの フンイキも なかなかイイ。


下の廊下 と 玄関。
歴史の重みを充分に 感じさせてくれて それでいて 温かい。
おっさんたちは ウーンとうなって、
そして
心が ホンワカしてきたりするのでした。
そして 夜になった・・・


チューハイ片手に 本を読む 相棒。
湯治宿の夜は 静かに更けてゆく・・・
因みに 1泊2食で 11,000-
こんなにイイ思いさせてもらって 何だか申し訳ないような気持ちでした。
翌朝は雨

でも 何も困らない。
雨が降ったら いいこともいっぱい。
それが トシをとってよかった! と思えることのひとつ。
雨の中、見るもの すべてが シットリと美しい。

一日中 目一杯楽しんで、最後に 「蔵久」という かりんとう屋さんに 寄りました。
江戸時代に建てられた 造り酒屋のお屋敷を改造して 広大な敷地内に 店舗やカフェなどがあります。
映画「犬神家の一族」のロケ屋敷としても有名な所。
その映画にも使われた 「金屏風」の前で・・・

ミキオちゃんは 小学校の同級生。 入学した時の 出席番号が11番で 私が12番。 因みに 「興徳寺便り」にイラストを描いてくれる 神戸のセイコちゃんは 13番でした。
彼らは まったく覚えていませんが・・・
いつものことながら ミキオちゃんには 頭が下がります。
充分すぎるほどの 気を遣いながら それを見せない。
知り尽くした道なのに なお新たな発見をしながら 自らが楽しむ。 おっさん2人が 2日間もべったりと行動をともにして 疲れないのは ひとえに彼の人徳によるものでしょう。 彼の方は疲れたかな?
雨の中、フルに動きました。 気に入ったシーンがあると 車を停め 傘を差して 写真を撮りました。
そんな中の 1枚。
今後の生きるべく方向を与えてもらったような気がします。

私の住む村が こんな風に なったら・・・ これが 今の私の 大きな夢 です。
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19:39
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2010年10月26日
お寺で 太極拳
毎月 第4日曜日の午後4時は 「唱題行」。 今月は 24日(1昨日)でした。
今回より その1時間前の3時より 「気功太極拳教室」を 行う事になりました。
3~4日前だったか、私の同級生の ヒトシちゃんこと安藤さんのお嬢さんから 電話があり 「興徳寺の駐車場をお借りして、太極拳教室を開きたいんですが いいでしょうか?」という話。 先生は いつも 唱題行に参加してくれている檀家の 遠藤進さんとのこと。 私は 進さんが 「気功」をやっていることは知っていましたが、 太極拳の先生だとは 知りませんでした。
2つ返事で 承諾し、迎えた当日。
太極拳とは どのようなものか、という説明の後、先生のデモンストレーション。


晴れていたら バックに富士山 という絶好の ロケーション。
まずは準備体操

初日は 足捌き(さばき)から・・・

先生の後から 歩いてみるのだけれど、これが 意外と難しく、
それに ずっと中腰なので なかなか大変・・・
最後に「気功法」 これが遠藤教室の特徴。
頭と体が シャン としました。
・・・ 引き続き 「唱題行」に入ったのですが、 「気」が 最初から落ち着いていて とっても良い「行」ができました。
実は 前々から 唱題行と併せて 呼吸法に動きを加えたトレーニング、例えば「ヨガ」とか「気功法」を取り入れたら 「気」が 安定するのでは、 と考えていました。 遠藤先生の 太極拳と気功法を併せて行うという 考え方は まさに私の求めていたものでした。
それにしても 不思議だなあ~ と思います。
前にも書きましたが、 一面に ひまわりが咲いたらきれいだろうなぁ~ と思っていたら 遠藤一秀さん が現れて、植えてくれた。 今は 菜の花がすでに芽を出している・・・
竹林を整備して雑木を、と思っていたら 太田さん という方が 現れて 苗を購入して 植えてくれた。
山の斜面を 彼岸花で・・・ でも 彼岸花の 球根はどこで手に入れるのだろう? と思っていたら 遠藤治郎さんが 球根を何と40キロも 持って来てくれた。
今回は 安藤さんと 遠藤先生。 さっさと 話を決めて チラシ まで 作ってきてくれました。

からだを感じて 気を流す・・・
いい言葉だと 思います。
この「気」という概念が つかめると 世界が変わる・・・
私も 一緒に勉強させていただこうと思います。
ということで 『気功太極拳教室』
次回は 11月28日、15時です。
興味のある方、動きやすい服装で お越しください。 無料です。
今回より その1時間前の3時より 「気功太極拳教室」を 行う事になりました。
3~4日前だったか、私の同級生の ヒトシちゃんこと安藤さんのお嬢さんから 電話があり 「興徳寺の駐車場をお借りして、太極拳教室を開きたいんですが いいでしょうか?」という話。 先生は いつも 唱題行に参加してくれている檀家の 遠藤進さんとのこと。 私は 進さんが 「気功」をやっていることは知っていましたが、 太極拳の先生だとは 知りませんでした。
2つ返事で 承諾し、迎えた当日。
太極拳とは どのようなものか、という説明の後、先生のデモンストレーション。



晴れていたら バックに富士山 という絶好の ロケーション。
まずは準備体操

初日は 足捌き(さばき)から・・・

先生の後から 歩いてみるのだけれど、これが 意外と難しく、
それに ずっと中腰なので なかなか大変・・・
最後に「気功法」 これが遠藤教室の特徴。

頭と体が シャン としました。
・・・ 引き続き 「唱題行」に入ったのですが、 「気」が 最初から落ち着いていて とっても良い「行」ができました。
実は 前々から 唱題行と併せて 呼吸法に動きを加えたトレーニング、例えば「ヨガ」とか「気功法」を取り入れたら 「気」が 安定するのでは、 と考えていました。 遠藤先生の 太極拳と気功法を併せて行うという 考え方は まさに私の求めていたものでした。
それにしても 不思議だなあ~ と思います。
前にも書きましたが、 一面に ひまわりが咲いたらきれいだろうなぁ~ と思っていたら 遠藤一秀さん が現れて、植えてくれた。 今は 菜の花がすでに芽を出している・・・
竹林を整備して雑木を、と思っていたら 太田さん という方が 現れて 苗を購入して 植えてくれた。
山の斜面を 彼岸花で・・・ でも 彼岸花の 球根はどこで手に入れるのだろう? と思っていたら 遠藤治郎さんが 球根を何と40キロも 持って来てくれた。
今回は 安藤さんと 遠藤先生。 さっさと 話を決めて チラシ まで 作ってきてくれました。

からだを感じて 気を流す・・・
いい言葉だと 思います。
この「気」という概念が つかめると 世界が変わる・・・
私も 一緒に勉強させていただこうと思います。
ということで 『気功太極拳教室』
次回は 11月28日、15時です。
興味のある方、動きやすい服装で お越しください。 無料です。
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20:47
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2010年10月24日
陸軍少年戦車兵学校にて
陸軍少年戦車兵学校という かつての大日本帝国陸軍の教育機関を ご存知ですか? 富士宮市の 北部に存在しました。
昭和14年から 終戦の20年まで、 延べ4000名の14歳から19歳の少年が2年間 ここで学びました。 少年戦車兵は若獅子の愛称で、空の若鷲(少年航空兵)と並び、国軍の双璧と讚えられたそうです。
敷地が30万坪、100両近い戦車と自動車類が配備され、広い朝霧高原の一帯が演習場として利用されたそうです。
実は 9月4日付のブログで紹介した 八木洋行先生が あの芝居の後 「この富士宮市朝霧高原に かつて陸軍の戦車学校があったそうなんだけれど 次はそれをテーマに脚本を書いてみたい」と言われるので 私が「その戦車学校の 出身者を知っておりますので 紹介しましょうか?」ともちかけたのです。
私は 「建設省建設大学校(廃校。今、朝霧高原、道の駅 となっている場所に在った)」の出身ですが、そのときの恩師 吉留(よしどめ)先生が、この戦車学校の3期生で 現在は『若獅子会(同窓会)』の会長を務めています。
お二人の 出会いの場は 富士宮市の北部、上井出(かみいで)の 若獅子神社(http://www.wakajishi.jp/jinjya.html) としました。

(この写真は HPより転載)
かつて陸軍少年戦車兵学校があった敷地の一角に在り、太平洋戦争で戦死した同校の教官・生徒600余名の御霊が祀られています。
この「若獅子神社」に 本物の戦車が置かれています。
「帰還戦車」と呼ばれる大破した九七式中戦車(チハ車)です。 戦後 サイパン島で 港湾工事の際 地中に埋まっていたものが 発見されたそうで、それを譲り受けたそうです。


昭和50年に この地に安置された。
左側が 八木洋行先生。右が 吉留先生。

貫通弾の痕 が生々しい。 中から白骨死体と軍刀が発見され、機種から身元も判明し、遺族の元に 送り返すことができたそう。
社務所にて 吉留先生より 数々の貴重な資料も見せていただきました。
少年達の 肉筆の手記も多数遺されており 時空を飛び越えて語りかけてくる 純真無垢な少年達の声が 直接胸に飛び込んで来ました。
この学校の存在を 一人でも多くの方に知ってもらうことも 私の役目かと 思います。
昭和14年から 終戦の20年まで、 延べ4000名の14歳から19歳の少年が2年間 ここで学びました。 少年戦車兵は若獅子の愛称で、空の若鷲(少年航空兵)と並び、国軍の双璧と讚えられたそうです。
敷地が30万坪、100両近い戦車と自動車類が配備され、広い朝霧高原の一帯が演習場として利用されたそうです。
実は 9月4日付のブログで紹介した 八木洋行先生が あの芝居の後 「この富士宮市朝霧高原に かつて陸軍の戦車学校があったそうなんだけれど 次はそれをテーマに脚本を書いてみたい」と言われるので 私が「その戦車学校の 出身者を知っておりますので 紹介しましょうか?」ともちかけたのです。
私は 「建設省建設大学校(廃校。今、朝霧高原、道の駅 となっている場所に在った)」の出身ですが、そのときの恩師 吉留(よしどめ)先生が、この戦車学校の3期生で 現在は『若獅子会(同窓会)』の会長を務めています。
お二人の 出会いの場は 富士宮市の北部、上井出(かみいで)の 若獅子神社(http://www.wakajishi.jp/jinjya.html) としました。

(この写真は HPより転載)
かつて陸軍少年戦車兵学校があった敷地の一角に在り、太平洋戦争で戦死した同校の教官・生徒600余名の御霊が祀られています。
この「若獅子神社」に 本物の戦車が置かれています。
「帰還戦車」と呼ばれる大破した九七式中戦車(チハ車)です。 戦後 サイパン島で 港湾工事の際 地中に埋まっていたものが 発見されたそうで、それを譲り受けたそうです。


昭和50年に この地に安置された。
左側が 八木洋行先生。右が 吉留先生。

貫通弾の痕 が生々しい。 中から白骨死体と軍刀が発見され、機種から身元も判明し、遺族の元に 送り返すことができたそう。
社務所にて 吉留先生より 数々の貴重な資料も見せていただきました。
少年達の 肉筆の手記も多数遺されており 時空を飛び越えて語りかけてくる 純真無垢な少年達の声が 直接胸に飛び込んで来ました。
この学校の存在を 一人でも多くの方に知ってもらうことも 私の役目かと 思います。
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21:13
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2010年10月20日
トイレ掃除に学ぶ 子供たち
昨日 御殿場市立御殿場小学校へ お掃除の手伝いに行って来ました。
『日本を美しくする会(http://www.souji.jp/)』富士支部代表 大村さんからの要請です。 大村さんは 10/14に 私が講演を行った 「養心の会」の主宰でもあります。
『日本を美しくする会』とは・・・・
~HPより抜粋~
日本を美しくする会は、鍵山秀三郎相談役の「掃除を通じて、世の中から心の荒みをなくしていきたい」 との強い思いで社会に広く開かれた活動となり、どのような人であっても参加でき、初めての人も、経験者も、共に下座に徹し、同じ目線でトイレ磨きをしてきました。
トイレを磨く中で多くの気づきを得、物を大切にする心を育て、物にも心を見出し、感謝と感動と謙虚さを生み出し、人間関係を大切にし、心豊かな人間社会を目指しています。
さて 「御殿場小学校 掃除に学ぶ会」 は 道徳教育の一環として 6年生全員145名、先生が7名、それに 指導側として 我々「日本を美しくする会」のメンバー24名で 実施されました。
また 今回は 特別に 鍵山相談役にもお越しいただき 直接の指導と お掃除の後 5年生・6年生に 講演をしていただきました。
掃除開始前・トイレの前で各班ごとのミーティング

掃除の手順と 道具の使い方を説明する。
たかが トイレ掃除と侮(あなど)るなかれ、 道具だけでも 30種類以上もあり、それをトイレの状況によって使い分ける。 より効率的で 完璧な掃除を目指す・・・
素手で磨く

基本的に 便器は 素手で磨きます。
鍵山相談役が 著書の中で「素手の方が 髪の毛一本まで直接感じる事が できるからです。―中略― その敏感な指先から直接感じることが 問題解決の早道だと信じているからです。」と 述べておられますが、実際やってみれば 素手の方が よほど効率的です。
ただし、開始前 両手にデルマシールドという皮膚保護剤を入念に擦り込んでもらい、なお手に傷がある者や 希望者には 手袋を着用してもらいます。
忍耐・工夫・気づき・・・ 掃除に学ぶ・・・


新しい校舎で 床は廊下と段差がなく、流行の無継ぎ目・ビニール系床材、壁も同質の物で コーティングされており、いつもの タイル張のように タワシと洗剤で洗うということができない。
リーダーにとっても 良い勉強の場となりました。
また 先生方の対応がスバラシク 子供たちもスナオで明るくて いつものことながら お手伝いに行って さわやかな感動をいただいて 帰ってきました。
リーダーの皆さん

平日にも拘らず この日のために駆けつけてくださった メンバーの方々・・・
御殿場まで 私は約40kmでしたが 遠くは 東京や静岡からも・・・
いつものことながら 本当に頭が下がります。 私は 現地だけでのお手伝いでしが 大村さんたちには 膨大な量の道具の 積み下ろしから 片づけまで、 100数十人分の濡れた雑巾・タオルを乾かすという手間も含めて 大変な仕事が残っているのです。
ブラジルでは「ブラジルを美しくする会」が 阪神・淡路大震災(平成7年)の翌年にスタートし、私は創立メンバーの一人でした。 日本のメンバーとも その時以来のお付き合いが続いており 私にとって かけがいのない財産でもあります。
掃除を知って それから お寺に入ったことは 本当にヨカッタ、と思います。
『日本を美しくする会(http://www.souji.jp/)』富士支部代表 大村さんからの要請です。 大村さんは 10/14に 私が講演を行った 「養心の会」の主宰でもあります。
『日本を美しくする会』とは・・・・
~HPより抜粋~
日本を美しくする会は、鍵山秀三郎相談役の「掃除を通じて、世の中から心の荒みをなくしていきたい」 との強い思いで社会に広く開かれた活動となり、どのような人であっても参加でき、初めての人も、経験者も、共に下座に徹し、同じ目線でトイレ磨きをしてきました。
トイレを磨く中で多くの気づきを得、物を大切にする心を育て、物にも心を見出し、感謝と感動と謙虚さを生み出し、人間関係を大切にし、心豊かな人間社会を目指しています。
さて 「御殿場小学校 掃除に学ぶ会」 は 道徳教育の一環として 6年生全員145名、先生が7名、それに 指導側として 我々「日本を美しくする会」のメンバー24名で 実施されました。
また 今回は 特別に 鍵山相談役にもお越しいただき 直接の指導と お掃除の後 5年生・6年生に 講演をしていただきました。
掃除開始前・トイレの前で各班ごとのミーティング

掃除の手順と 道具の使い方を説明する。
たかが トイレ掃除と侮(あなど)るなかれ、 道具だけでも 30種類以上もあり、それをトイレの状況によって使い分ける。 より効率的で 完璧な掃除を目指す・・・
素手で磨く

基本的に 便器は 素手で磨きます。
鍵山相談役が 著書の中で「素手の方が 髪の毛一本まで直接感じる事が できるからです。―中略― その敏感な指先から直接感じることが 問題解決の早道だと信じているからです。」と 述べておられますが、実際やってみれば 素手の方が よほど効率的です。
ただし、開始前 両手にデルマシールドという皮膚保護剤を入念に擦り込んでもらい、なお手に傷がある者や 希望者には 手袋を着用してもらいます。
忍耐・工夫・気づき・・・ 掃除に学ぶ・・・



新しい校舎で 床は廊下と段差がなく、流行の無継ぎ目・ビニール系床材、壁も同質の物で コーティングされており、いつもの タイル張のように タワシと洗剤で洗うということができない。
リーダーにとっても 良い勉強の場となりました。
また 先生方の対応がスバラシク 子供たちもスナオで明るくて いつものことながら お手伝いに行って さわやかな感動をいただいて 帰ってきました。
リーダーの皆さん

平日にも拘らず この日のために駆けつけてくださった メンバーの方々・・・
御殿場まで 私は約40kmでしたが 遠くは 東京や静岡からも・・・
いつものことながら 本当に頭が下がります。 私は 現地だけでのお手伝いでしが 大村さんたちには 膨大な量の道具の 積み下ろしから 片づけまで、 100数十人分の濡れた雑巾・タオルを乾かすという手間も含めて 大変な仕事が残っているのです。
ブラジルでは「ブラジルを美しくする会」が 阪神・淡路大震災(平成7年)の翌年にスタートし、私は創立メンバーの一人でした。 日本のメンバーとも その時以来のお付き合いが続いており 私にとって かけがいのない財産でもあります。
掃除を知って それから お寺に入ったことは 本当にヨカッタ、と思います。
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21:24
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2010年10月17日
パワースポット 七面山
昨日~今日にかけて 『七面山(しちめんざん)』に行って来ました。
日蓮宗の総本山である 身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ;山梨県身延町)から 約20kmほどに 位置し 標高1982メートル、山上には 七面大明神(身延山の守護神)を祀る 「敬慎院(けいしんいん)」が たたずんでいます。
ここに参拝するためには 高低差1400m、距離50丁(1丁は6間=109m)の参道を歩かなければなりません。時間にして3~6時間。信仰のお山、霊山と呼ばれるゆえんです。
私は この『七面山』に大体 年3回くらい 登ります。

「敬慎院」のたたずまい。 車も通わない この山の中に これだけの建物群、それだけで驚き!

紅葉には 少し早かったけど・・・


充分に 秋 を感じました。

建物の裏側 竜神の伝説がある「一の池」
ところで 私が何故 この「七面山」に 登りたいかというと・・・
それは ここに「霊力」を感じるからです。
今でいうところの 「パワースポット」。 自分の 身をもって 「奇跡」を体験しました。
境内から 朝の 富士山 を見ただけで 言葉を失う。
その神々しさ、 美しさ・・・
「やっぱり 神さま はいるんだ!」と 声を発した 女の子がいました・・・



毎年、彼岸の中日には ご来光が 富士山の中央から昇ります。
この光の道は 千葉県上総一宮から 富士山頂~身延山~七面山を通って 遥か 出雲大社まで一直線。
実に神秘的な 直線です。

山頂は 3度。 かなり寒い・・・
険しい 道のりといい、決して 楽ではないけれど
この少々の 辛さに耐えて 初めて
「パワー を頂いた!」と感じられるのかな・・・
今回は 二人の お檀家さんと 同行。 小林君と 青木さん。
お二人ともよく頑張りました。

下山して 大満足! の「興徳寺ご一行 三名」
*講演会、たくさんの方が見えてくださり、大変嬉しかった。 その分 随分 緊張もしました。
後から 感想を聞いてみると、 概ね 好評のようではあったけど 私がもっともいいたかったこと、は あまり 伝わってなかったようでもあり、 人に話しを伝えることの難しさを 改めて実感いたしました。
日蓮宗の総本山である 身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ;山梨県身延町)から 約20kmほどに 位置し 標高1982メートル、山上には 七面大明神(身延山の守護神)を祀る 「敬慎院(けいしんいん)」が たたずんでいます。
ここに参拝するためには 高低差1400m、距離50丁(1丁は6間=109m)の参道を歩かなければなりません。時間にして3~6時間。信仰のお山、霊山と呼ばれるゆえんです。
私は この『七面山』に大体 年3回くらい 登ります。

「敬慎院」のたたずまい。 車も通わない この山の中に これだけの建物群、それだけで驚き!

紅葉には 少し早かったけど・・・


充分に 秋 を感じました。

建物の裏側 竜神の伝説がある「一の池」
ところで 私が何故 この「七面山」に 登りたいかというと・・・
それは ここに「霊力」を感じるからです。
今でいうところの 「パワースポット」。 自分の 身をもって 「奇跡」を体験しました。
境内から 朝の 富士山 を見ただけで 言葉を失う。
その神々しさ、 美しさ・・・
「やっぱり 神さま はいるんだ!」と 声を発した 女の子がいました・・・



毎年、彼岸の中日には ご来光が 富士山の中央から昇ります。
この光の道は 千葉県上総一宮から 富士山頂~身延山~七面山を通って 遥か 出雲大社まで一直線。
実に神秘的な 直線です。

山頂は 3度。 かなり寒い・・・
険しい 道のりといい、決して 楽ではないけれど
この少々の 辛さに耐えて 初めて
「パワー を頂いた!」と感じられるのかな・・・
今回は 二人の お檀家さんと 同行。 小林君と 青木さん。
お二人ともよく頑張りました。

下山して 大満足! の「興徳寺ご一行 三名」
*講演会、たくさんの方が見えてくださり、大変嬉しかった。 その分 随分 緊張もしました。
後から 感想を聞いてみると、 概ね 好評のようではあったけど 私がもっともいいたかったこと、は あまり 伝わってなかったようでもあり、 人に話しを伝えることの難しさを 改めて実感いたしました。
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2010年10月13日
芳枝さん
今日は 母の 誕生日。 寅年生まれの 年女で 84歳になりました。

私の 妹たち(双子)と・・・

私は 興徳寺に戻ってから ずっと この母と二人暮らしです。 「オカアチャン」とか 「ヨシエさん」と呼んでいます。
ヨシエさんは 清水(現在は静岡市)の大きなお寺の長女として生まれました。 10人兄弟の一番上。 何不自由なく育てられ 女学校にも行かせてもらいましたが 清水の大空襲で焼け出され 家族12人が 2間だけのバラック小屋に住んでいたところを 人を介して 父が申し込みに行ったそう。
その時二人で映画を見に行ったことが 唯一のデートで そのまま縁談はまとまり、 一度も見ないままで興徳寺に嫁いで来ました。
お寺の格からいっても とても申し込める相手ではなかったそうですが 先方は一人でも 口減らしをしたかった というのが本音で そこへ父の殺し文句 「お米のご飯が 腹一杯食べられる」 は、ハラをすかしていた娘心を射るに 充分であったような・・・
以来、泣き言は言わず、よく働き、そして いつも明るく、何というか 育ちの良さみたいなものが そこそこに感じられるような 山寺の奥さんでした。
まったく 丈夫な人で お産以外寝た事がない という伝説(?)があります。
風邪をひかず・頭痛・腹痛・肩こり・不眠症・・・一切 縁がない。
ただ 家系で 腰が曲がっていて 長く歩けない事と これまた家系で 難聴(補聴器を使っている)
そして 認知症・・・
2年ほど前、急に物忘れがひどくなり、病院の診断を受けると・・・
「脳の海馬(かいば)という記憶を掌る部分の 組織の一部が機能しておらず 認知症と認めます。」とのこと。
少しばかりショックで 何故か安心しました。 「やっぱりな」というのが正直な気持ちだったと思います。
「要介護2」が認定されました (最近 1 に戻ってしまった、喜んでいいのか?)。
何でも 片っ端から忘れてしまいます。 「気楽なもんだね」 というから 「アンタは 気楽だけど、こっちはたまったもんじゃない」というと 「そりゃ そうだ」と 自ら 大笑い。
「アタシは 日進月歩でバカになる・・・」という名言を残しました。

玄関の上がり端(はな)に貼ってある。
本人は これを見ても 気にしない。
最近つくづく思うのですが 幸せな人 とはこのような人のことではないだろうか?
私たちは 物事を忘れることを 困る と思う。 母は まったく困らない。
私たちは 将来のことを 多少なりとも 不安に思う。 母には まったく不安はない。
つらかったこと、悲しかったこと、悔しかった事、そういう いやな記憶はすべて消えてしまいました。
残っているのは 嬉しい・楽しい・オイシイ・ありがたい という 良い感情のみ。
いつでも 誰に対しても 「ありがとう」 と言います。
他人の悪口は一切言わず、被害妄想も まったくありません。
おもしろければ 全身をゆすって笑うし 機嫌がよければ 鼻歌。
ふんふんふんふん~
朝と昼の食事は 私が作ります。
朝一番 その日のメッセージを 冷蔵庫に張った ホワイトボードに・・・

84才になりました。
まだまだですネ と書いたら 続けて
ありがとう もう少しがんばります
と お返事
どうぞ がんばってください。
そんな訳で 今のところ まったく良きパートナーです。

*講演会、いよいよ 明日! 何となく 落ち着かない・・・

私の 妹たち(双子)と・・・

私は 興徳寺に戻ってから ずっと この母と二人暮らしです。 「オカアチャン」とか 「ヨシエさん」と呼んでいます。
ヨシエさんは 清水(現在は静岡市)の大きなお寺の長女として生まれました。 10人兄弟の一番上。 何不自由なく育てられ 女学校にも行かせてもらいましたが 清水の大空襲で焼け出され 家族12人が 2間だけのバラック小屋に住んでいたところを 人を介して 父が申し込みに行ったそう。
その時二人で映画を見に行ったことが 唯一のデートで そのまま縁談はまとまり、 一度も見ないままで興徳寺に嫁いで来ました。
お寺の格からいっても とても申し込める相手ではなかったそうですが 先方は一人でも 口減らしをしたかった というのが本音で そこへ父の殺し文句 「お米のご飯が 腹一杯食べられる」 は、ハラをすかしていた娘心を射るに 充分であったような・・・
以来、泣き言は言わず、よく働き、そして いつも明るく、何というか 育ちの良さみたいなものが そこそこに感じられるような 山寺の奥さんでした。
まったく 丈夫な人で お産以外寝た事がない という伝説(?)があります。
風邪をひかず・頭痛・腹痛・肩こり・不眠症・・・一切 縁がない。
ただ 家系で 腰が曲がっていて 長く歩けない事と これまた家系で 難聴(補聴器を使っている)
そして 認知症・・・
2年ほど前、急に物忘れがひどくなり、病院の診断を受けると・・・
「脳の海馬(かいば)という記憶を掌る部分の 組織の一部が機能しておらず 認知症と認めます。」とのこと。
少しばかりショックで 何故か安心しました。 「やっぱりな」というのが正直な気持ちだったと思います。
「要介護2」が認定されました (最近 1 に戻ってしまった、喜んでいいのか?)。
何でも 片っ端から忘れてしまいます。 「気楽なもんだね」 というから 「アンタは 気楽だけど、こっちはたまったもんじゃない」というと 「そりゃ そうだ」と 自ら 大笑い。
「アタシは 日進月歩でバカになる・・・」という名言を残しました。

玄関の上がり端(はな)に貼ってある。
本人は これを見ても 気にしない。
最近つくづく思うのですが 幸せな人 とはこのような人のことではないだろうか?
私たちは 物事を忘れることを 困る と思う。 母は まったく困らない。
私たちは 将来のことを 多少なりとも 不安に思う。 母には まったく不安はない。
つらかったこと、悲しかったこと、悔しかった事、そういう いやな記憶はすべて消えてしまいました。
残っているのは 嬉しい・楽しい・オイシイ・ありがたい という 良い感情のみ。
いつでも 誰に対しても 「ありがとう」 と言います。
他人の悪口は一切言わず、被害妄想も まったくありません。
おもしろければ 全身をゆすって笑うし 機嫌がよければ 鼻歌。

朝と昼の食事は 私が作ります。
朝一番 その日のメッセージを 冷蔵庫に張った ホワイトボードに・・・

84才になりました。
まだまだですネ と書いたら 続けて
ありがとう もう少しがんばります
と お返事
どうぞ がんばってください。
そんな訳で 今のところ まったく良きパートナーです。

*講演会、いよいよ 明日! 何となく 落ち着かない・・・
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22:28
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2010年10月11日
おしゃか
朝、TVの報道番組を 適当に流しながら 食事の支度をしていたら 「今の若者の日本語の理解力が低下している」 というような趣旨で 街頭で若者にインタビュー。 いくつかの言葉を示して 「知ってますか?」と質問するのだけど そのなかで「おしゃか になる」という言葉がありました。 私も 「こんな言葉は知らないだろう」と思って聞いていると 案の定 誰も答えられない。 更に インタビュアーが「それでは おしゃかさんは?」と聞くと 「エェ~ッ オシャカサンゥ~? 聴いた事ある~ 何だっけ~? エ~ト~・・・ 大仏さん?・・・」 これには ビックリしました。 お釈迦様を知らない若者がいるとは・・・ たまたま バカな子に質問してしまったのかもしれませんが、それにしてもな~ と思います。
私が住んだブラジルは カトリックの国ですが 小学校の時から 「宗教」という授業があります。 「復活祭」という 国民の休日が何を意味するか くらいは誰でも知ってます。 ところが 日本の子供は お彼岸の 意味すら知らない。 秋分の日 とは 「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ趣旨の国民の祝日」 と定められていますが そのことを認識している国民が どれくらい いるでしょうか?
日本と外国の若者たちが 興徳寺に泊まっていくようなイベントがたまにあります。 そういう時に 私が仏教について話すと 興味を示すのは外国の子。 自分の持っている宗教概念とのギャップに 「confuse !(=混乱する)」を連発しながら 何かを見出そうとしています。 一方 日本の若者たちは 一部の者を除いてこの会話の渦に入って来れない・・・ 信仰心もないし 宗教知識も皆無といっていいほどないのです。
日本の 学校教育制度の中で 是非 「宗教」 を取り上げて欲しい と願う者です。
昨今の 中国という国家に感ずる 違和感も 煎じ詰めれば 宗教心・道徳心の欠如に起因すると思えます。 唯物主義からは 真の幸福は 生まれません。
ところで 冒頭の 「おしゃか」という言葉、 作りそこない・不良品 といった意味で 「おしゃかになった」 という言い方をします。
仏師が 鋳物で 阿弥陀像の依頼を受けたのですが できあがった仏様の顔は どうみても お釈迦様、「おしゃかになった」と言って 放棄した・・・ ということに由来するそうです。 使い物にならないようにする=壊す・捨てることを「お釈迦にする」といいますが 今では ほとんど 使われませんね。

例の ひまわり畑。 若者たちが 来て 菜の花の種をまいてくれました。 来年の春 桜と一緒に 開花する予定。 桜 と 菜の花 と富士山と・・・ 今から ワクワクです。
夕刻 少しだけ「赤富士」 が 見られるようになりました。 これからの時期、裾野まで真っ赤に染まった 富士山が それはそれは きれいです。

私が住んだブラジルは カトリックの国ですが 小学校の時から 「宗教」という授業があります。 「復活祭」という 国民の休日が何を意味するか くらいは誰でも知ってます。 ところが 日本の子供は お彼岸の 意味すら知らない。 秋分の日 とは 「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ趣旨の国民の祝日」 と定められていますが そのことを認識している国民が どれくらい いるでしょうか?
日本と外国の若者たちが 興徳寺に泊まっていくようなイベントがたまにあります。 そういう時に 私が仏教について話すと 興味を示すのは外国の子。 自分の持っている宗教概念とのギャップに 「confuse !(=混乱する)」を連発しながら 何かを見出そうとしています。 一方 日本の若者たちは 一部の者を除いてこの会話の渦に入って来れない・・・ 信仰心もないし 宗教知識も皆無といっていいほどないのです。
日本の 学校教育制度の中で 是非 「宗教」 を取り上げて欲しい と願う者です。
昨今の 中国という国家に感ずる 違和感も 煎じ詰めれば 宗教心・道徳心の欠如に起因すると思えます。 唯物主義からは 真の幸福は 生まれません。
ところで 冒頭の 「おしゃか」という言葉、 作りそこない・不良品 といった意味で 「おしゃかになった」 という言い方をします。
仏師が 鋳物で 阿弥陀像の依頼を受けたのですが できあがった仏様の顔は どうみても お釈迦様、「おしゃかになった」と言って 放棄した・・・ ということに由来するそうです。 使い物にならないようにする=壊す・捨てることを「お釈迦にする」といいますが 今では ほとんど 使われませんね。

例の ひまわり畑。 若者たちが 来て 菜の花の種をまいてくれました。 来年の春 桜と一緒に 開花する予定。 桜 と 菜の花 と富士山と・・・ 今から ワクワクです。
夕刻 少しだけ「赤富士」 が 見られるようになりました。 これからの時期、裾野まで真っ赤に染まった 富士山が それはそれは きれいです。

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21:24
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2010年10月08日
東南アジアの若者たちと
興徳寺のすぐ近くに 「ホールアース自然学校 http://wens.gr.jp/ 」があります。 各種研修会やセミナーで 興徳寺の竹林整備をしてくれたり、「川施餓鬼」等のイベントに積極的に参加・お手伝いをしてくれたりと いつもお世話になっています。

ホールアースのスタッフの若者たちは 皆 自然が大好き。 スナオで明るくて かつ積極的、 一緒にいて とっても気持ちがいい・・・
その ホールアースがコーディネートするプログラムで 東南アジア6ケ国(タイ・インドネシア・マレーシア・フィリピン・ベトナム・シンガポール)の若者26名が 本日午後 興徳寺の竹林で 竹林整備の実習。
13:30 作業開始



どの子も イキイキとしている。 10月だというのに ヤブ蚊が多い・・・



16:00 本堂
全員に本堂に上がってもらい 私が 1時間 通訳付きで お話しをさせていただきました。
最初に、私の経歴などを話させていただき、その後 今回の彼らの来日目的でもある環境問題に言及し 私が 現在もっとも興味のあるテーマである 針葉樹林 と 広葉樹林について 解説を試みました。
最後に 最近 私が大変感銘を受けた スイス在住の「近自然学」の第一人者、山脇正俊先生の 学説を引用して・・・
環境問題は、「環境か 生活の快適さか」とか「自然保護か 開発(経済)か」のような 二者択一の論議が繰り返されてきましたが、「その両方とも」を求めて 得られる解決策がある と信じています。 つまりは 共存・共栄を図る といった考え方です。
キーワードは 「心地よさ」 です。
誰もが 理屈抜きに 「気持ちいいなぁ~」と 感じられる空間、あるいは「もっとも心地よい状態」を 人間が自然に対して 手を加えることによって作り出す。
気持ちのよい環境は 生き延びやすく、暮らしやすく、心豊かな人生を約束してくれます。
それによって 経済効果も当然生まれてくるはずです。
「心地よい空間作り」を目指して ささやかではありますが 今後とも努力してゆきたいと思います。
・・・と 結びました。

話の後の 質疑応答なども 大変積極的 かつ鋭く、 この子たちが 近い将来、それぞれの国のリーダーになっていくんだろうな~ と 想像しました。
良い時間を過ごさせていただき 感謝!です。

ホールアースのスタッフの若者たちは 皆 自然が大好き。 スナオで明るくて かつ積極的、 一緒にいて とっても気持ちがいい・・・
その ホールアースがコーディネートするプログラムで 東南アジア6ケ国(タイ・インドネシア・マレーシア・フィリピン・ベトナム・シンガポール)の若者26名が 本日午後 興徳寺の竹林で 竹林整備の実習。
13:30 作業開始




どの子も イキイキとしている。 10月だというのに ヤブ蚊が多い・・・





16:00 本堂
全員に本堂に上がってもらい 私が 1時間 通訳付きで お話しをさせていただきました。
最初に、私の経歴などを話させていただき、その後 今回の彼らの来日目的でもある環境問題に言及し 私が 現在もっとも興味のあるテーマである 針葉樹林 と 広葉樹林について 解説を試みました。
最後に 最近 私が大変感銘を受けた スイス在住の「近自然学」の第一人者、山脇正俊先生の 学説を引用して・・・
環境問題は、「環境か 生活の快適さか」とか「自然保護か 開発(経済)か」のような 二者択一の論議が繰り返されてきましたが、「その両方とも」を求めて 得られる解決策がある と信じています。 つまりは 共存・共栄を図る といった考え方です。
キーワードは 「心地よさ」 です。
誰もが 理屈抜きに 「気持ちいいなぁ~」と 感じられる空間、あるいは「もっとも心地よい状態」を 人間が自然に対して 手を加えることによって作り出す。
気持ちのよい環境は 生き延びやすく、暮らしやすく、心豊かな人生を約束してくれます。
それによって 経済効果も当然生まれてくるはずです。
「心地よい空間作り」を目指して ささやかではありますが 今後とも努力してゆきたいと思います。
・・・と 結びました。

話の後の 質疑応答なども 大変積極的 かつ鋭く、 この子たちが 近い将来、それぞれの国のリーダーになっていくんだろうな~ と 想像しました。
良い時間を過ごさせていただき 感謝!です。
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20:58
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2010年10月05日
パンの泰然
友人の深澤正樹さんよりTEL 「この間 頼まれていた 似顔絵ができたから持って行くから~」
奥さんの 早苗さんが イラストがとっても上手なので 『興徳寺便り』に掲載する カットを頼んでいたのでした。
しばらくして 正樹さんが現れて 「ハイッ」と差し出されたものを見て ビックリ仰天! 何と 奥さんが パンで私の顔を作ってくれたのです。

似てますか~?
これがモデルですけど~・・・

もったいなくて 食べられません・・・
10月に入って・・・
絽(ろ)の着物を しまった・・・
扇風機も 片付けた・・・
未練タラタラ カキ氷機も片付けた、 冷凍庫のブロック氷は このまま冬を越す気か?
10月に入って
少し暇になるかと思ったけど 昨日、今日と立て続けに 講演。 どちらも近くの 老人会で 「気楽にお話しいただければ・・・」とはいうけれど 異なる内容の話 1時間分を2本作るのは、それなりのプレッシャー。 他のことが手につかない・・・
何とか終わって ちょっとクタッとしています。
それよりも 何よりも 問題は10月14日。
「養心の会」(http://fujicook.blogzine.jp/youshinnokai/)での 講演。 全国区の講演のプロみたいな人たちを 招いて毎月実施されている会で、 大村峰緒さんという 私が敬愛する ステキな先輩が主宰しています。 いつもは 聴く立場の私が 今回は 話す事になりました。
私の番になったら 「なんだ あの人か?」などと 誰も来てくれないようだと 私を推薦してくれた大村さんにも申し訳ない。
それならば 「できたら来てッ!」 と声をかけたいのは ヤマヤマなのですが、困った事に有料なのです。 それも2800円(ペアだと4000円)。 そんな価値があるのか? と聞かれれば、「ない」と答えるしかないのがツライ、 それに 知っている人に聴かせる というのは恥ずかしくもある・・・
でも、会場費すら出ないような赤字になると 大村さんが自腹を切ることになります。
それで 勇気をもって おそるおそるの お願いです。
近くの方で、都合のつく方、寄付だと思って、来て下さい。 お願いいたします。
10月14日、富士グランドホテル、18:30開場・19:00開演。 1時間半のお話しです。
今から、集中して 原稿を作成します。 ヨロシク。
昨日の 富士山です。

奥さんの 早苗さんが イラストがとっても上手なので 『興徳寺便り』に掲載する カットを頼んでいたのでした。
しばらくして 正樹さんが現れて 「ハイッ」と差し出されたものを見て ビックリ仰天! 何と 奥さんが パンで私の顔を作ってくれたのです。

似てますか~?
これがモデルですけど~・・・

もったいなくて 食べられません・・・
10月に入って・・・
絽(ろ)の着物を しまった・・・
扇風機も 片付けた・・・
未練タラタラ カキ氷機も片付けた、 冷凍庫のブロック氷は このまま冬を越す気か?
10月に入って
少し暇になるかと思ったけど 昨日、今日と立て続けに 講演。 どちらも近くの 老人会で 「気楽にお話しいただければ・・・」とはいうけれど 異なる内容の話 1時間分を2本作るのは、それなりのプレッシャー。 他のことが手につかない・・・
何とか終わって ちょっとクタッとしています。
それよりも 何よりも 問題は10月14日。
「養心の会」(http://fujicook.blogzine.jp/youshinnokai/)での 講演。 全国区の講演のプロみたいな人たちを 招いて毎月実施されている会で、 大村峰緒さんという 私が敬愛する ステキな先輩が主宰しています。 いつもは 聴く立場の私が 今回は 話す事になりました。
私の番になったら 「なんだ あの人か?」などと 誰も来てくれないようだと 私を推薦してくれた大村さんにも申し訳ない。
それならば 「できたら来てッ!」 と声をかけたいのは ヤマヤマなのですが、困った事に有料なのです。 それも2800円(ペアだと4000円)。 そんな価値があるのか? と聞かれれば、「ない」と答えるしかないのがツライ、 それに 知っている人に聴かせる というのは恥ずかしくもある・・・
でも、会場費すら出ないような赤字になると 大村さんが自腹を切ることになります。
それで 勇気をもって おそるおそるの お願いです。
近くの方で、都合のつく方、寄付だと思って、来て下さい。 お願いいたします。
10月14日、富士グランドホテル、18:30開場・19:00開演。 1時間半のお話しです。
今から、集中して 原稿を作成します。 ヨロシク。

昨日の 富士山です。

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20:03
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2010年10月02日
小川が流れるお寺
興徳寺の境内を小川が流れています。 本堂の横、直線距離で30メートルです。

実は永いこと放置されていて、竹と蔓(つる)と雑草で 足を踏み入れることも 出来ないような状態でした。 それを 今回 専門業者に依頼し、整備いたしました。
密林状態だった竹を伐採し 粉砕機で 粉状にします。

そして・・・
before after

上から 覗きこむと こんな谷川(?)が 出現した。 今まで 熊笹がびっしり生えていて 見ることもできなかった・・・


谷の反対側から・・・
砂防ダムがあって その向こうに本堂が見える。
上流・・・ 小川のせせらぎ・・・

お彼岸 が終わったら やってみたいと思っていたことのひとつ。
予想以上に時間もかかったけど(まだ請求書は来てないけれど 見るのがちょっと怖い) 若い彼らが 本当によく働いてくれて、予想をはるかに超える 満足度を与えてくれました。
この 川の周辺は 真竹(まだけ=物干し竿に使うような 細い竹)の竹林。 竹の子の需要がないので まったくの放置状態でした(もちろん 真竹の需要も ほとんどない)。 古い竹が枯れて倒れこみ その下から芽を出した竹の子は行く方向を失って、斜めに伸びる・・・ 竹と竹が斜めに絡み合って ちょっと異様な光景でした(竹というのは まっすぐ上に伸びるものと思うでしょ?)。
本日 作業終了! 改めて眺めれば こんなに広々とした空間があったのか、と 驚きます。
これからは しっかりと管理していこうと思います。


実は永いこと放置されていて、竹と蔓(つる)と雑草で 足を踏み入れることも 出来ないような状態でした。 それを 今回 専門業者に依頼し、整備いたしました。
密林状態だった竹を伐採し 粉砕機で 粉状にします。


そして・・・
before after


上から 覗きこむと こんな谷川(?)が 出現した。 今まで 熊笹がびっしり生えていて 見ることもできなかった・・・


谷の反対側から・・・
砂防ダムがあって その向こうに本堂が見える。
上流・・・ 小川のせせらぎ・・・

お彼岸 が終わったら やってみたいと思っていたことのひとつ。
予想以上に時間もかかったけど(まだ請求書は来てないけれど 見るのがちょっと怖い) 若い彼らが 本当によく働いてくれて、予想をはるかに超える 満足度を与えてくれました。
この 川の周辺は 真竹(まだけ=物干し竿に使うような 細い竹)の竹林。 竹の子の需要がないので まったくの放置状態でした(もちろん 真竹の需要も ほとんどない)。 古い竹が枯れて倒れこみ その下から芽を出した竹の子は行く方向を失って、斜めに伸びる・・・ 竹と竹が斜めに絡み合って ちょっと異様な光景でした(竹というのは まっすぐ上に伸びるものと思うでしょ?)。
本日 作業終了! 改めて眺めれば こんなに広々とした空間があったのか、と 驚きます。
これからは しっかりと管理していこうと思います。

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20:16
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