2012年06月26日
本棚屋さん
最近、ほのぼのと感動した 会社を紹介します。

ひとつは JAL,
ムカシから へそ曲がりで 反抗的で トップというのは好きでない、
アンチ巨人で アンチ大鵬(若い方には 何のコッチャ わかりませんネ)でしたが、飛行機だけは JALが好き、
理由は 単純で スチュワーデス(この言葉も死語ですか?)が とにかくカッコよかった・・・
この間 北海道に行った時、 コックピットからのアナウンス、 機長からです。
「ただ今 当機は ○○上空を 高度○○フィート、速度○○ノットで 巡航しております。 札幌の天気は曇り、気温は○○℃・・・ 」という いつも通りの お決まりパターン、 ところが その後、「本日は 数ある航空会社の中から 日本航空を選んでいただきまして、まことにありがとうございます。 ・・・皆様方には ご迷惑やら ご心配をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。 ・・・これからも 安全運行と サービスの向上に 全社一丸となって努力して参ります。 今後ともに 日本航空を お引き立ていただきますよう、全社員を代表いたしまして お願い申し上げます」
私にとって 憧れ中の憧れ、 JALのキャプテンが ナントモ 謙虚な言葉、 思わずジ~ン、
親方日の丸、殿様商売のJALでしたが、「この会社は 立ち直った!」 と思ったのでした。
さすが 稲盛和夫さん、です。
東電も 是非 見習って欲しい。

もうひとつの会社は 福岡県大川市の「本棚屋」さん。
大川市は 家具の町として有名ですが、 このお店は 興徳寺の居間のスペースに 本棚を置きたくて あちこち探しているうち ネット上で 見つけました。
無垢材で 高さと幅は1cm刻み、奥行きが5cm刻みで注文できます。 (因みに 私の注文は高さ85cm、幅81cmx2個)
2週間ほど待って、 届いた商品は 締め付け方式の金具が 画期的で 組み立ても とても簡単、 肌触りもやさしく 何よりも、しっかりしていて とても気に入りました。

泣かされたのは 商品に同封されていた 店長からの手紙、
3年前、主要納品先が倒産し そのあおりを受けて 倒産寸前まで 追い込まれたこと、 毎日、取引先に出向いて 頭を下げては 支払の先延ばしをお願いするも 怒鳴られ 冷たい言葉を浴びせられたこと、
そんなときに ある方と 運命的な出会い、 『 頭ば上げんね、 うちも協力するけん、会社続けやんよ 』 と・・
「あの瞬間の喜びを、私は今でも 忘れません・・・ 」と綴られています。
その彼からの提案は 「本棚専門店」、 正直 拍子抜けした、 本棚なんて ホームセンターに行けば 数千円で買えるような時代に? ところが 彼は 『その辺りで売っている 柔(やわ)な本棚を作りたいんじゃない、 無垢材で お客さんの希望するジャストサイズで しかも 誰でも手の届く価格で』 と、 しかもそれをインターネットで 売る・・・
実際に 始めたものの 1本の注文も入らず 試行錯誤を繰り返して 数十日後、初めての注文が入ったときは 嬉しくて 二人で 飲み明かしたこと・・
そして 4年目を 迎えた今、 何とか家族を養っていけるようになった・・・と 感謝の言葉とともに 締めくくられていました。

ブラジル時代、いつ倒産してもおかしくないような会社を経営していた私に、
この店長さんの 苦しみや 喜びは まるで我がことのよう・・・
いつまでも この気持ちを忘れずに 精進していって欲しいと 思います。

因みに 今回の 私の本棚の価格は 塗装費6000円と 送料2000円を含め 2つで46,800円、 とても満足しています。
本棚屋 http://www.hondanaya.com

梅雨の曇り空が続いていて 富士山が 顔を見せてくれません。 これは 北海道にて・・

ひとつは JAL,
ムカシから へそ曲がりで 反抗的で トップというのは好きでない、
アンチ巨人で アンチ大鵬(若い方には 何のコッチャ わかりませんネ)でしたが、飛行機だけは JALが好き、
理由は 単純で スチュワーデス(この言葉も死語ですか?)が とにかくカッコよかった・・・
この間 北海道に行った時、 コックピットからのアナウンス、 機長からです。
「ただ今 当機は ○○上空を 高度○○フィート、速度○○ノットで 巡航しております。 札幌の天気は曇り、気温は○○℃・・・ 」という いつも通りの お決まりパターン、 ところが その後、「本日は 数ある航空会社の中から 日本航空を選んでいただきまして、まことにありがとうございます。 ・・・皆様方には ご迷惑やら ご心配をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。 ・・・これからも 安全運行と サービスの向上に 全社一丸となって努力して参ります。 今後ともに 日本航空を お引き立ていただきますよう、全社員を代表いたしまして お願い申し上げます」
私にとって 憧れ中の憧れ、 JALのキャプテンが ナントモ 謙虚な言葉、 思わずジ~ン、
親方日の丸、殿様商売のJALでしたが、「この会社は 立ち直った!」 と思ったのでした。
さすが 稲盛和夫さん、です。
東電も 是非 見習って欲しい。

もうひとつの会社は 福岡県大川市の「本棚屋」さん。
大川市は 家具の町として有名ですが、 このお店は 興徳寺の居間のスペースに 本棚を置きたくて あちこち探しているうち ネット上で 見つけました。
無垢材で 高さと幅は1cm刻み、奥行きが5cm刻みで注文できます。 (因みに 私の注文は高さ85cm、幅81cmx2個)
2週間ほど待って、 届いた商品は 締め付け方式の金具が 画期的で 組み立ても とても簡単、 肌触りもやさしく 何よりも、しっかりしていて とても気に入りました。

泣かされたのは 商品に同封されていた 店長からの手紙、
3年前、主要納品先が倒産し そのあおりを受けて 倒産寸前まで 追い込まれたこと、 毎日、取引先に出向いて 頭を下げては 支払の先延ばしをお願いするも 怒鳴られ 冷たい言葉を浴びせられたこと、
そんなときに ある方と 運命的な出会い、 『 頭ば上げんね、 うちも協力するけん、会社続けやんよ 』 と・・
「あの瞬間の喜びを、私は今でも 忘れません・・・ 」と綴られています。
その彼からの提案は 「本棚専門店」、 正直 拍子抜けした、 本棚なんて ホームセンターに行けば 数千円で買えるような時代に? ところが 彼は 『その辺りで売っている 柔(やわ)な本棚を作りたいんじゃない、 無垢材で お客さんの希望するジャストサイズで しかも 誰でも手の届く価格で』 と、 しかもそれをインターネットで 売る・・・
実際に 始めたものの 1本の注文も入らず 試行錯誤を繰り返して 数十日後、初めての注文が入ったときは 嬉しくて 二人で 飲み明かしたこと・・
そして 4年目を 迎えた今、 何とか家族を養っていけるようになった・・・と 感謝の言葉とともに 締めくくられていました。

ブラジル時代、いつ倒産してもおかしくないような会社を経営していた私に、
この店長さんの 苦しみや 喜びは まるで我がことのよう・・・
いつまでも この気持ちを忘れずに 精進していって欲しいと 思います。

因みに 今回の 私の本棚の価格は 塗装費6000円と 送料2000円を含め 2つで46,800円、 とても満足しています。
本棚屋 http://www.hondanaya.com

梅雨の曇り空が続いていて 富士山が 顔を見せてくれません。 これは 北海道にて・・
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14:01
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2012年06月20日
興徳寺をきれいにする日
17日の 日曜日は 『興徳寺をきれいにする日』 でした。
草刈・本堂の掃除、その他 興徳寺をきれいにするための 奉仕作業デー です。

2年前から 始めて 年2回、 参加者も 少しづつ増えてきて 今回は36名でした。

前日は 終日 雨、 当日も 予報では 午前中 雨、 だったのですが・・・
朝になると 止んでいて・・・

途中、小雨が パラパラと 落ちたことも ありましたが 予定通り、すべての作業を 終了することができました。


いつも いつも 思うことですが
働いている人って とっても イイ顔!
『遺影』には こんな顔が いいですね。

最後は 名物 『かき氷』、

おつかれさまでした~

北海道 豊富町の 大規模草地 です。
*次回の 『興徳寺をきれいにする日』 は 7月29日(日) 7時~ です。
** 『毎日書道展』 入選しました。 こうなったら 10回入選を目指します。 70歳になっているはずです。
草刈・本堂の掃除、その他 興徳寺をきれいにするための 奉仕作業デー です。

2年前から 始めて 年2回、 参加者も 少しづつ増えてきて 今回は36名でした。

前日は 終日 雨、 当日も 予報では 午前中 雨、 だったのですが・・・
朝になると 止んでいて・・・

途中、小雨が パラパラと 落ちたことも ありましたが 予定通り、すべての作業を 終了することができました。









いつも いつも 思うことですが
働いている人って とっても イイ顔!
『遺影』には こんな顔が いいですね。

最後は 名物 『かき氷』、

おつかれさまでした~

北海道 豊富町の 大規模草地 です。
*次回の 『興徳寺をきれいにする日』 は 7月29日(日) 7時~ です。
** 『毎日書道展』 入選しました。 こうなったら 10回入選を目指します。 70歳になっているはずです。
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12:56
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2012年06月16日
33年という時間
トイカンベツに 行ってきました。 実に33年ぶりのことでした。
特急の停車駅、 「天塩中川」 に出迎えてくれたのは 「加藤のおっかあ」こと 加藤幸子さん、
(加藤のおっかあ=あの時代、この地方での 独特の呼び方、 加藤さんのおばさん、を親しみこめて呼ぶと こうなる)

立場でいうと 私が 主任技術者で
おっかあ は 地元採用の作業員、
ご主人は 現場の作業長で
このご夫妻には 公私ともに
大変お世話に なりました。
残念ながら ご主人は 23年前に 交通事故にて他界、
酔っ払い運転の暴走車が センターラインを超えて 正面衝突し、
同乗していた 奥さんと 娘さんは奇跡的に 助かったのだそうです。
33年ぶりの 対面でしたが 何の違和感もありませんでした。
当時 私は 札幌に本社をおく 「北海道建設工業㈱」 という会社の 技術社員、
希望して この 問寒別出張所に 配属してもらいました。
この 小さな地域は 当時の 北海道の 開発の 最前線、
新しい道路の建設、 河川の改修、 放牧場の整備 等々・・・
膨大な国費が投入され、
大小の建設会社が ひしめきあっていました。
住民は 農家や 公務員以外は ほとんどが建設作業員でした。

やがて 一通りの 仕事が 終わり・・・
建設会社も その役目を終え、 住民たちも チリジリになりました。

「北海道建設工業」も 数年前に 撤退し、 札幌の本社も 昨年 倒産、
看板を外され 閉鎖された 事務所は 「エツ こんな小さかったか?」というのが まずの印象でした。
これは 前回紹介した 問寒別駅 の現在の姿です。

さび付いた貨車が 駅舎の代わり、
「なんぼなんでも これはないべさ~ 」と言いたくなるような みすぼらしさです。

宗谷本線 問寒別駅 です。
33年ぶりに この地を訪れて 思ったこと、
それは 懐かしいとか 感慨深い とか そんなことではなく
ただ 33年という時間が 流れた・・・ という 当たり前の事実、
自分が 手がけた 現場を 訪ねてみました。
でも 何も 見つけることができませんでした。

私が 携わってきた 湿地帯 を放牧地に改良する 圃場(ほじょう)整備工事(↑) や

新設の 道路工事・・・
でも あれほど苦労して 完成させた 工事現場を、 「ここだッ!」 と 特定できないのです。
天塩川の 河川工事、
築堤の中に 埋もれるように 「樋門(ひもん)」を見つけたとき初めて 「これは 自分が手がけた工事だ」 と 分かりました。

(close up ↓ 樋門)

「ペンケオートマップ川」という 天塩川の 支流です。
右側が堤防、 左側が 川なのですが 柳の木が 生い茂って まるで 密林のよう、 どこに 川があるのかすら 見えません。
33年という 確かな時間に ただ 唖然!

これが 天塩川です。
「記憶とは 想起した瞬間に作り出されている何ものか、である」 と言われたのは 「動的平衡」など多数の著作をもつ 福岡伸一氏、
「過去とは現在のことである、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるに過ぎない」 と・・・
私は すべての 記憶は 潜在意識の中にインプットされている、と考え、 それを 何とか アカデミックに 証明したいのですが、 今回のことは どう捉えたらいいものかと・・・・

問寒別は 私にとって 社会人のスタートの地。
よく働き、 よく酒を飲み、 良き人に恵まれ、とても 楽しい 充実した日々を過ごしました。
今、 「トイカンが こんなに変わってしまったんだぜ~」 と 写真を見せられる人が 誰もいない・・・
特急の停車駅、 「天塩中川」 に出迎えてくれたのは 「加藤のおっかあ」こと 加藤幸子さん、
(加藤のおっかあ=あの時代、この地方での 独特の呼び方、 加藤さんのおばさん、を親しみこめて呼ぶと こうなる)

立場でいうと 私が 主任技術者で
おっかあ は 地元採用の作業員、
ご主人は 現場の作業長で
このご夫妻には 公私ともに
大変お世話に なりました。
残念ながら ご主人は 23年前に 交通事故にて他界、
酔っ払い運転の暴走車が センターラインを超えて 正面衝突し、
同乗していた 奥さんと 娘さんは奇跡的に 助かったのだそうです。
33年ぶりの 対面でしたが 何の違和感もありませんでした。
当時 私は 札幌に本社をおく 「北海道建設工業㈱」 という会社の 技術社員、
希望して この 問寒別出張所に 配属してもらいました。
この 小さな地域は 当時の 北海道の 開発の 最前線、
新しい道路の建設、 河川の改修、 放牧場の整備 等々・・・
膨大な国費が投入され、
大小の建設会社が ひしめきあっていました。
住民は 農家や 公務員以外は ほとんどが建設作業員でした。

やがて 一通りの 仕事が 終わり・・・
建設会社も その役目を終え、 住民たちも チリジリになりました。

「北海道建設工業」も 数年前に 撤退し、 札幌の本社も 昨年 倒産、
看板を外され 閉鎖された 事務所は 「エツ こんな小さかったか?」というのが まずの印象でした。
これは 前回紹介した 問寒別駅 の現在の姿です。

さび付いた貨車が 駅舎の代わり、
「なんぼなんでも これはないべさ~ 」と言いたくなるような みすぼらしさです。

宗谷本線 問寒別駅 です。
33年ぶりに この地を訪れて 思ったこと、
それは 懐かしいとか 感慨深い とか そんなことではなく
ただ 33年という時間が 流れた・・・ という 当たり前の事実、
自分が 手がけた 現場を 訪ねてみました。
でも 何も 見つけることができませんでした。

私が 携わってきた 湿地帯 を放牧地に改良する 圃場(ほじょう)整備工事(↑) や

新設の 道路工事・・・
でも あれほど苦労して 完成させた 工事現場を、 「ここだッ!」 と 特定できないのです。
天塩川の 河川工事、
築堤の中に 埋もれるように 「樋門(ひもん)」を見つけたとき初めて 「これは 自分が手がけた工事だ」 と 分かりました。

(close up ↓ 樋門)

「ペンケオートマップ川」という 天塩川の 支流です。
右側が堤防、 左側が 川なのですが 柳の木が 生い茂って まるで 密林のよう、 どこに 川があるのかすら 見えません。
33年という 確かな時間に ただ 唖然!

これが 天塩川です。
「記憶とは 想起した瞬間に作り出されている何ものか、である」 と言われたのは 「動的平衡」など多数の著作をもつ 福岡伸一氏、
「過去とは現在のことである、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるに過ぎない」 と・・・
私は すべての 記憶は 潜在意識の中にインプットされている、と考え、 それを 何とか アカデミックに 証明したいのですが、 今回のことは どう捉えたらいいものかと・・・・

問寒別は 私にとって 社会人のスタートの地。
よく働き、 よく酒を飲み、 良き人に恵まれ、とても 楽しい 充実した日々を過ごしました。
今、 「トイカンが こんなに変わってしまったんだぜ~」 と 写真を見せられる人が 誰もいない・・・
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23:07
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2012年06月11日
トイカンベツという所
北海道 天塩郡幌延町字問寒別(といかんべつ)
24歳から 29歳までの5年間を過ごした所です。

最北端 稚内から 国道40号線を南下して 約80km、
そこから東に折れた所に ある集落、
極寒の地 しかも土地は 泥炭地、
開拓の先駆者たちは それはそれは 苦労をされた・・・
山の中に入り、 小屋を建て、
木を伐りだして 筏にし 天塩川を下る・・・
それが 鯡(にしん)で 賑わう 天塩港で
鯡を炊いて
魚滓(ぎょかす)を作るための 薪になった・・・
当時 魚滓は 貴重な肥料で 秋田あたりの米農家が
魚滓一俵を 米一俵と引き換えたそう・・・
やがて 鯡は 獲れなくなり 木こりたちは 牛を飼い始めた・・・
まともな道もない奥地から 牛乳を搬出するのが また一苦労であったと・・・
そんな 話しを 村の長老から 何度となく 聴かされた。
ブラジルに渡った 移民も
蝦夷の地に 渡った移民も
動機は まったく同じだったな~と あの頃に 思い、
どうせのことなら ブラジルがイイ、 と思った 私がいた・・・

長男 拓朗が生まれた頃・・・ 後ろの プレハブが スイートホームでした。
その問寒別を 明日 訪れます。
実に 33年ぶりのこと。

昨年 計画したのだけど 葬儀にて 断念、
一緒に行くはずだった ハラちゃんこと
札幌の原田さんも この春 他界、
そのお墓参りも兼ねてます。
宗谷本線 問寒別駅前
どのように変わっているやら・・・
明朝、 始発の新幹線で 夕方には 問寒別に着ける、という スゴイ時代になりました。
かつては 丸2日は 要していたのに。
願わくば 朝まで 何事も起こらずに 無事出発できますよう・・・

24歳から 29歳までの5年間を過ごした所です。

最北端 稚内から 国道40号線を南下して 約80km、
そこから東に折れた所に ある集落、
極寒の地 しかも土地は 泥炭地、
開拓の先駆者たちは それはそれは 苦労をされた・・・
山の中に入り、 小屋を建て、
木を伐りだして 筏にし 天塩川を下る・・・
それが 鯡(にしん)で 賑わう 天塩港で
鯡を炊いて
魚滓(ぎょかす)を作るための 薪になった・・・
当時 魚滓は 貴重な肥料で 秋田あたりの米農家が
魚滓一俵を 米一俵と引き換えたそう・・・
やがて 鯡は 獲れなくなり 木こりたちは 牛を飼い始めた・・・
まともな道もない奥地から 牛乳を搬出するのが また一苦労であったと・・・
そんな 話しを 村の長老から 何度となく 聴かされた。
ブラジルに渡った 移民も
蝦夷の地に 渡った移民も
動機は まったく同じだったな~と あの頃に 思い、
どうせのことなら ブラジルがイイ、 と思った 私がいた・・・

長男 拓朗が生まれた頃・・・ 後ろの プレハブが スイートホームでした。
その問寒別を 明日 訪れます。
実に 33年ぶりのこと。

昨年 計画したのだけど 葬儀にて 断念、
一緒に行くはずだった ハラちゃんこと
札幌の原田さんも この春 他界、
そのお墓参りも兼ねてます。
宗谷本線 問寒別駅前
どのように変わっているやら・・・
明朝、 始発の新幹線で 夕方には 問寒別に着ける、という スゴイ時代になりました。
かつては 丸2日は 要していたのに。
願わくば 朝まで 何事も起こらずに 無事出発できますよう・・・

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20:55
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2012年06月09日
不平等という平等
今週は 頼まれた 講演が2回あり、 時間と エネルギーの大半を費やしてしまいました。
1つが 「結核予防婦人会」というボランティア団体の 総会の後の「研修会」で、
もう1つは 市内の 「女性学級」の「講座」、それぞれに 1時間と1時間半でした。
どちらも女性会員ですが、年齢層が 少し違うし、何よりも どちらの会にも 出席される方がいることを知って、別の内容で 準備しました。
レジュメとかメモは見ないので 当然のことのように 原稿ができたら 稽古をします。 通し稽古だけでも 最低3回、 ストップウォッチ片手に 時間配分などを調整します。
終わると、本当に ホッとします。
今年の予定が 10回、 やっと3回が終わりました。

東海地方は 昨日(6/8)梅雨入り宣言。
朝から雨だと 何となく嬉しい・・・ 来客もないし、山の仕事も やりたくてもできない(?)・・・
何をしようかな~ と思いながら、 とりあえず 長靴はいて 雨の中、 これがまた とってもいいんですね~

法華経というお経のなかに 『三草二木の譬え(さんそうにもくのたとえ)』という お話があります。
天から降る雨は あまねく平等に降り注ぎます。
高い所にも 低い所にも
大きな草にも、中くらいの草にも 小さな草にも、
また 大きな木にも 小さな木にも・・・
それは 仏さまの慈悲に 譬えられます。
ほとけ様は 貧富や身分の差別なく、
生きとし生けるもの全てのために 平等に教えを説かれているのです。
ですが 大きい木は たくさんの水を、
小さな草は 少しの水を受け取るように、
教えを受け取る私たちの 立場や心の持ちようによって
さまざまな 差別(しゃべつ)が生じるのです。
絶対平等を説く 仏教に顕れるこの差別(しゃべつ と 読みます)という言葉、
ほとけ様の教えは ただ一つなのですが
受ける側の 機根(きこん=心のありよう)によって はからずも差が生じてしまうことを意味します。
でも この差というのは 最終的に 目的に達するための 通り路なのです。

一見 不平等に見える 絶対平等。
社会的弱者に対する救済や 子どもに対する教育や はてまた被災者への救援 等々・・・
深~い 仏の知恵を 生かして欲しい、
降りしきる雨の中、 そんなことを 思いました。


ガレージに作ってあった つばめの巣、 はがれて 床に 落ちた。

もう 落ちないように、と 台をつけたのだけど
つばめ はガレージの中で Uターンを繰り返すばかり・・・
「ほら ここ、 ここッ」 と指差してみても
見えてんだか 見えてないのか、
落とした巣を 戻しても 使わない、と聞いたのですが・・・
どうしたら いいんだろう・・・
だれか 知っている人 いますか?

村を流れる 「芝川」。 遡ると 前に紹介した 「白糸の滝」 です。
*6月12日から 3泊4日で 北海道に行ってきます。
ムカシ住んでいた 幌延町を訪ねてみます。 最北端まで 100km足らずのところです。
1つが 「結核予防婦人会」というボランティア団体の 総会の後の「研修会」で、
もう1つは 市内の 「女性学級」の「講座」、それぞれに 1時間と1時間半でした。
どちらも女性会員ですが、年齢層が 少し違うし、何よりも どちらの会にも 出席される方がいることを知って、別の内容で 準備しました。
レジュメとかメモは見ないので 当然のことのように 原稿ができたら 稽古をします。 通し稽古だけでも 最低3回、 ストップウォッチ片手に 時間配分などを調整します。
終わると、本当に ホッとします。
今年の予定が 10回、 やっと3回が終わりました。

東海地方は 昨日(6/8)梅雨入り宣言。
朝から雨だと 何となく嬉しい・・・ 来客もないし、山の仕事も やりたくてもできない(?)・・・
何をしようかな~ と思いながら、 とりあえず 長靴はいて 雨の中、 これがまた とってもいいんですね~

法華経というお経のなかに 『三草二木の譬え(さんそうにもくのたとえ)』という お話があります。
天から降る雨は あまねく平等に降り注ぎます。
高い所にも 低い所にも
大きな草にも、中くらいの草にも 小さな草にも、
また 大きな木にも 小さな木にも・・・
それは 仏さまの慈悲に 譬えられます。
ほとけ様は 貧富や身分の差別なく、
生きとし生けるもの全てのために 平等に教えを説かれているのです。
ですが 大きい木は たくさんの水を、
小さな草は 少しの水を受け取るように、
教えを受け取る私たちの 立場や心の持ちようによって
さまざまな 差別(しゃべつ)が生じるのです。
絶対平等を説く 仏教に顕れるこの差別(しゃべつ と 読みます)という言葉、
ほとけ様の教えは ただ一つなのですが
受ける側の 機根(きこん=心のありよう)によって はからずも差が生じてしまうことを意味します。
でも この差というのは 最終的に 目的に達するための 通り路なのです。

一見 不平等に見える 絶対平等。
社会的弱者に対する救済や 子どもに対する教育や はてまた被災者への救援 等々・・・
深~い 仏の知恵を 生かして欲しい、
降りしきる雨の中、 そんなことを 思いました。


ガレージに作ってあった つばめの巣、 はがれて 床に 落ちた。

もう 落ちないように、と 台をつけたのだけど
つばめ はガレージの中で Uターンを繰り返すばかり・・・
「ほら ここ、 ここッ」 と指差してみても
見えてんだか 見えてないのか、
落とした巣を 戻しても 使わない、と聞いたのですが・・・
どうしたら いいんだろう・・・
だれか 知っている人 いますか?

村を流れる 「芝川」。 遡ると 前に紹介した 「白糸の滝」 です。
*6月12日から 3泊4日で 北海道に行ってきます。
ムカシ住んでいた 幌延町を訪ねてみます。 最北端まで 100km足らずのところです。
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19:56
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2012年06月02日
良樹細根
どんぐりの山に 登ってみると いろいろな気づきが 得られます。

昨年 植えた苗木が フサフサと若葉をつけて
風にそよいでいる姿は、
本当に けなげで
それでいて 何ともたくましい。
そうかと思うと まったく 新芽が出ず 昨年の枯葉のままの木もあります。
「結局 根付かなかったんだ~」と嘆いていると
「イヤイヤ これは 今 根を伸ばしている段階だから そのうち芽が出るよ」
と 山の師匠が・・・
「来年になっても 芽が出なかったら その時は 植え替えるから~」
という言葉に じっと見守っていたのですが・・・

出ました!!
今頃になって 新芽です。
苗木の 上の方 枯れた葉っぱが 見えるでしょうか?
そして根元に 若葉が!
春から 今まで じっと根を伸ばしてきたんだ、
と思うと 感無量!
エライゾ!
それでこそ 本物だ! って思います。
人間だってそうです。 すぐに芽が出る子もいるけど なかなか芽が出ない子もいる。
そういう子は じっと根を伸ばしているんです。
そこをきっちりと評価してあげないといけない、と 改めて思いました。

私の 尊敬する イエローハットの創業者 鍵山秀三郎先生の言葉
『良樹細根』
「根深ければ、葉繁し」―
樹は、広く深く細かく根を張っていなければ、大樹に育ちません。
何事を始めるにも、根が先で、葉は後。
を 改めて 思い出しました。

がらっと 話題を変えますが・・・
竹に 雄と雌があるのを ご存知ですか?

これが雄です。

そして これが雌です。
違いが分かりましたか?
一番下の枝が 1本なら雄、 2本なら雌なんだそうで・・・
しかも竹林のバランスとしては 1本の雄に対して 5本の雌 というのが 繁殖のバランスがいいのだそうです。
一人の女房を 持て余しているような 世の男どもに 聞かせてあげたいです。

友人ユメコさんの 作品。
私が なりたい木 が 見事に具象化されていて とっても好きな作品です。
タイトルは 『生きる』。
サブタイトルがついていて 「見える部分と 見えない部分の バランスをとる」
私は この絵を見て 『良樹細根』 を イメージしています。
*お知らせ
・今頃になって 『紙上法話』 と 『住職のひとり言』 更新しました。 時間がある方、覗いてください。
・HPの予定表も 書き直しました。 ご迷惑をおかけした方々に お詫び申し上げます。
・コメント寄せてくださる方、 メルアドを添付してください。 返信いたします。

昨年 植えた苗木が フサフサと若葉をつけて
風にそよいでいる姿は、
本当に けなげで
それでいて 何ともたくましい。
そうかと思うと まったく 新芽が出ず 昨年の枯葉のままの木もあります。
「結局 根付かなかったんだ~」と嘆いていると
「イヤイヤ これは 今 根を伸ばしている段階だから そのうち芽が出るよ」
と 山の師匠が・・・
「来年になっても 芽が出なかったら その時は 植え替えるから~」
という言葉に じっと見守っていたのですが・・・

出ました!!
今頃になって 新芽です。
苗木の 上の方 枯れた葉っぱが 見えるでしょうか?
そして根元に 若葉が!
春から 今まで じっと根を伸ばしてきたんだ、
と思うと 感無量!
エライゾ!
それでこそ 本物だ! って思います。
人間だってそうです。 すぐに芽が出る子もいるけど なかなか芽が出ない子もいる。
そういう子は じっと根を伸ばしているんです。
そこをきっちりと評価してあげないといけない、と 改めて思いました。

私の 尊敬する イエローハットの創業者 鍵山秀三郎先生の言葉
『良樹細根』
「根深ければ、葉繁し」―
樹は、広く深く細かく根を張っていなければ、大樹に育ちません。
何事を始めるにも、根が先で、葉は後。
を 改めて 思い出しました。

がらっと 話題を変えますが・・・
竹に 雄と雌があるのを ご存知ですか?

これが雄です。

そして これが雌です。
違いが分かりましたか?
一番下の枝が 1本なら雄、 2本なら雌なんだそうで・・・
しかも竹林のバランスとしては 1本の雄に対して 5本の雌 というのが 繁殖のバランスがいいのだそうです。
一人の女房を 持て余しているような 世の男どもに 聞かせてあげたいです。

友人ユメコさんの 作品。
私が なりたい木 が 見事に具象化されていて とっても好きな作品です。
タイトルは 『生きる』。
サブタイトルがついていて 「見える部分と 見えない部分の バランスをとる」
私は この絵を見て 『良樹細根』 を イメージしています。
*お知らせ
・今頃になって 『紙上法話』 と 『住職のひとり言』 更新しました。 時間がある方、覗いてください。
・HPの予定表も 書き直しました。 ご迷惑をおかけした方々に お詫び申し上げます。
・コメント寄せてくださる方、 メルアドを添付してください。 返信いたします。
Posted by kotokuji at
14:49
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