2012年11月26日

4つのご利益

本日予定されていました「YUNOどんぐりの会・第2回植樹祭」
朝から 雨・・・

早朝から  事務局長のミキオちゃんと 対応に追われましたが、11月30日(金)に 順延、となりました。 
心配して かけつけてくださった方もいっぱいおられて 本当に申し訳なかったです。

一通りの段取りをつけ 皆さんが お帰りになった後 少々悶々とした気持ち(?)で 雨の中、カメラ片手に歩いてみました。





興徳寺に戻ってから 今日までの8年間、色んな行事があったけど、一度たらずとも 降られたことはなかった、 「松永は 晴れ男」 を自他ともに認め、ミキオちゃんなど 前日までの 問い合わせに 「ダイジョウブです、 タイゼンさんの 祈りが必ず通じますから」などと・・・



今回は お手伝いの 大人が50数名と、前年の倍以上の参加者が見込まれていました。 
勤めに出ている方たちは 皆 休暇をとって 申し込んでくれたのですが 「もう一日は無理」、と 参加者も半減してしまいました。 

「何故 ワタシの祈りは通じなかったのか?」  降りしきる 雨の中で そんなことを考えていました。

思い出したのが もう20年以上も前だったと思うのですが ある お坊さんに聞いた お話、





「① 祈って 願いが叶う
② 祈らなくて 願いが叶う
③ 祈って 願いが 叶わない
④ 祈らなくて 願いが叶わない

すべて 信仰の ご利益(りやく)です」

・・・・ナンノコッチャ? 



当時の私にとっては その程度の理解度でしたが 妙に印象に残る言葉として 記憶に残っておりました。 

でも 今、 このことが 「信じる」ということの 本質である、 と思えるようになりました。



天気予報を覆して 晴れたとしたら・・・

「サッスガ~ッ!」などと 言われたら・・・・

私が祈れば どんな願いも叶う、 などと考え始めたら・・・ 

それこそ 増上慢(ぞうじょうまん=未熟であるのに、仏法の悟りを身につけたと誇ること)に陥るところでした。

スナオに受け止めて しっかりと 精進して参りたい と思います。





『YUNOどんぐりの会 第二回植樹祭』 11月30日(金) 朝9時 集合です。
参加できる方は お手伝いを お願いいたします。  


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2012年11月19日

秋の七面山

七面山に行ってきました。


  

頂上の 水飲み場
凍って バリバリでした










七面山へは 年に2~3回は 参詣しますが 今回は とくに目的がありました。
それは 当病平癒祈願(とうびょうへいゆきがん)。 
いつも元気な私の後輩が、 体の不調を訴え、 2週間の検査入院の結果は、 腎臓の機能不全、 透析を勧められた と・・・
本人も 家族も 大ショック、  彼は私より3歳年下ですが 結婚したばかりです。 再婚同士ですが そのヨメさんになってくれた方が またイイ人で、  ペンキ屋さんの夫とともに 一緒に現場に出て よく働くし、体の不自由な姑さんと同居して よく面倒を見てくれるし・・・ 
この後輩、 超がつくほどの お人よしですが  どういう訳か 女運が悪く、 気がついてみれば スッカラカン、 そんな所へ 来てくれた嫁さんに対し、「命を賭けて シアワセにします」 と 誓ったばかりなのです。




”敬慎院”

前日の雪が 屋根に うっすらと
残っています












私が 七面山の 霊力を強く信じているのは・・・
今から 7年前、 友人に脳腫瘍が発見され 余命3ケ月と宣告された。 死ぬ前に 一度 七面山へ、という当人の強い希望を叶えるべく 急遽 仲間でサポート隊を結成、 
その時点で 症状は 医師の予想通り 視覚・聴覚の障害、さらに足の麻痺へと進行しており、雪の中の登詣は困難を極めましたが 本人の 不屈の信念と 仲間の強力なサポートで 何とか 目的を達成したのです。

・・・それから しばらくして そのピンポン玉大の脳腫瘍が 消えてしまった・・・   担当の医師をして 「言いたくはないが・・・ 奇跡としか 表現できない」と。

七面山に祀られているのは「七面大明神」 七面天女とも呼ばれ 法華経を守護するとされる女神様、 「御開帳(ごかいちょう)」をお願いして ご対面をさせていただくことができます。 

僧侶の 力強い読経の中、 像の額の玉を見つめて 一心に祈ると 願い事が 必ず成就する・・・



 ”随身門” からの 富士山、  遥拝という言葉が まさにピッタリ

検査から 1ケ月が過ぎましたが、 透析を断って 食事療法を続けている後輩、 経過は順調とのこと、
 
「この状態が維持され 願わくは 完全平癒いたしますよう」 と 祈りました。 








七面山の 山腹

私の 住む村の 裏山が
こんな風に 彩られる日を

強く イメージして
帰路につきました。






登山口から 車で更に30分ほど 早川沿いに遡り 奈良田(ならだ)温泉へ。

(途中で見かけた つり橋)


町営の日帰り湯 『奈良田の里温泉』 



奥まった山の中 なかなかの風情です。   
湯船は木製 ぬるめの実にいいお湯で うつらうつらと1時間も浸かってしまいました。 
 

  朝5時に 出発して 帰宅は 19時半、 まさに よき一日、 で ありました。







第二回 YUNOどんぐりの会 植樹祭

いよいよ 来週月曜日(26日) となりました。 
小学生が100名、 お手伝いを 申し込んでくださった方が 現在 45名、
準備は 万端! 
よき 天候を 祈るのみ です。 






  


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2012年11月14日

731回忌

11月11日は 興徳寺の 『お会式』でした。



 庭のもみじ、  
 やっと色づきました。





「お会式」とは 日蓮聖人の 御命日に合わせて営まれる法要で 興徳寺にとって 檀家さんが一度に会する 一年でもっとも大きなイベント です。 


   受付の 男衆(オトコシィ と読みます)です。


   台所の 女衆(オンナシィ)です。

「法要」


    本堂は お檀家さんで 満席、 立ったままの方も・・・







  「高座説教」
法要の後の 法話、 今年は 日蓮宗伝統の「高座説教」です。  
「高座」と呼ばれる 台を この日のために 特注しました。

 

説教師は 
川手正順上人 です。














「私は 興徳寺さんから 車で1分、歩いて2分半という 大変アクセスのよい お隣 妙泉寺から参りました 川手正順と申します・・・」 と軽妙なテンポで 始まりました。




お経の一節を紐解きながら 自らの 苦しみや 感動の体験を織り交ぜ、日蓮聖人の一代記へと もってゆく手法は なかなかのもの、 笑いあり 涙あり 格調の高さありの あっと言う間の 45分間でした。








聴衆の 
真剣なまなざし・・・









「高座説教」を習得するには  一年に一度開設される 「日蓮宗布教院」にて 15日間の合宿研修を行い、 5回を終了した者が 試験を受けて 合格すると 晴れて 卒業! ということになります。 川手上人は 今年、2回目を終了されました。 これから先 大いに期待がもてる 若きお坊さんです。


法要の後は 庫裏にて 「お食事」 
興徳寺名物の きのこの 炊き込みご飯、 それに 味噌汁、 貯蔵しておいた 竹の子、蕗の煮付け 等 いたって素朴な田舎料理です。

 

狭い場所で スタッフは 
テンヤワンヤの 
大騒ぎ・・・ 

これも お会式の 
風物詩 です。










日蓮聖人の 御命日は 弘安5年(1282年)10月13日、 今年の お会式は 実に731回忌ということになります。 これくらいになると 年忌と呼ばず 遠忌(おんき)と呼びます。 

興徳寺は 200軒ちょっとの檀家さんですが 50回忌が営まれるのは 年に2~3回、で 50回忌以上は 私は体験したことはありません。 

自分の死後 50回忌をやってもらえる、と確信できる人って いるかな~? 





家族制度の崩壊が 叫ばれて久しいのですが  それは 遠い御先祖様に思いを馳せ お守りする、この日本人特有の 伝統が 崩壊しつつあることと 無関係ではない、と 思えます。  私たち 宗教家の 責任でもあります。 

「せめて 50回忌を 勤めていただけるよう 檀家さんに 働きかけよう」  宗祖の731遠忌を 終えて そんなことを 考えました。 


明日は 七面山に 行ってきます。








  


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2012年11月09日

Mさんのこと

4月3日の ブログで 紹介した Mさんが 突然 大阪に帰られました。
→ http://kotokuji.eshizuoka.jp/e876976.html#comments





Mさんは 今年75歳、 大阪で生まれ ずっと大阪に暮らしていましたが、1昨年5月 御主人に先立たれ 昨年暮れ 自宅を処分し 富士宮の老人ホームに移って来られました。 子供に恵まれなかったので 日蓮宗の総本山 身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)に 永代供養を申し込まれ 安住の地として 身延山に近く 富士山の見える 富士宮市を選ばれたのでした。



ご縁をいただいてから 月一回 御主人の 命日に私が出かけ 一緒にお経をあげ 今年5月の3回忌には 無事 御主人の お骨を 納めたのですが・・・

「ナンヤ 気が抜けて しもーてな~・・・」 
 
Mさんによると 今年の5月までは ”お骨を納める” ことが 生きがい だったのに それが 無くなってしまった。 たまに 身延山に お参りに行こうとすると タクシーで 往復5万円、 しかも 車椅子の身で 建物の外から手を合わせるだけ・・・ だんだん そのことにも 強い意欲が湧かなくなった・・・

Mさんは 手押し車を使って 散歩することが楽しみ、 ところが この地域の お年寄りと うまく コミニュケーションが とれない、 どうも Mさんの 大阪弁は ぶっきらぼうで 何か怒っているように聴こえるらしい・・・

「大阪ってとこは ムカシから 四国の人やら 朝鮮の人やら いろんなとこの人が 入り混じってまっしゃろ、 ヨソモンって意識が おまへんのや、 そのことに 気ぃついたんですわ」    「今のうちなら まだやり直せる と思いましてな」

静岡の人は とても気がやさしい、と 思います。  だけど たしかに 田舎の人 とくに お年寄りは ヨソから入ってきた人に対して ちょっと 遠慮するところが あるかもしれない・・・ 




 Mさんと 
 愛用の 手押し車













 友人の 人形劇団 ”じゅごん” のボランティア公演が 実現し 
楽しんでもらうことが できたのが せめてもの 救いでした。








左端が Mさん です。













                人形劇 ”おこんじょうるり”


帰る、 ということを 決めた ある日、
突然 興徳寺に 現れ 二百万円を 差し出されました。 

「百万円を 石巻市の震災孤児育英基金に、 百万円を YUNOどんぐりの会へ」  

自分は見ることはできないけれど キレイな山が残ること を想像しただけで 嬉しいと・・・ 




前回 Mさんから 戴いた 多額の寄付金で 本堂 天井の ガラスに ”天女” を 施しました。






大阪 花岡美智子 
の文字が 読み取れるでしょうか?









別れ際に こんなことを・・・
「こういう施設に 住んでたら 長生きはできません、 回りの人を見ても せいぜい10年くらい、施設の費用は 月18万円くらいで 年金ではとても足りないので 貯金を崩しているのだけれど 残りの時間を逆算して 必要ないもんは 全部 差し出しました」

ちょっと悲壮なハナシを 笑いながら サバサバと・・・





興徳寺の 天井を舞う 天女は 美智子さん あなた自身です。
 
大阪の 施設に 会いに行きますネ。





明後日 11月11日は 興徳寺の お会式。 
檀家さんが もっとも多く集まる日、ですが 檀家さん以外でも どなたでも どうぞ・・・  10時半から です。 








  


Posted by kotokuji at 21:13Comments(0)

2012年11月05日

フェスティバルとお祭りと

ついこの間まで 「アッチイ アチイ!(こちらの言い方で 暑い ですね~ の意)」と言ってたのに もうストーブです。 昨日 やっと 扇風機を 片付けました。





「第6回 富士山ピースフェスティバル」 無事 終了いたしました。

観客動員数では、 期待した せめて500人!には とても及ばず 今後への重大な反省テーマとなりましたが 自分自身は 大いに楽しませていただきました。

前日 行なわれた 「高砂酒造」の蔵で行なわれた コンサート、 

 「富士山ピースフェスティバル」の連動企画でしたが これが 実にヨカッタ、
古い蔵の中は 独特のフンイキで 音響効果も良好。 
ヴァイオリン(河村典子さん)、コントラバス(白土文雄さん)、ギター(ワルター・ギーガーさん)という ちょっと珍しい アンサンブルで ムスルグスキーの 「展覧会の絵」とサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を演奏していただきましたが 
「クラッシックで ここまで できるのか!」 という 新たな感動をいただきました。

ピースフェスの幕開けは ブルースハープの陬波靖行さん デュオ+前夜のワルター・ギーガーさん


たった一回の練習だったそうですが ナントも スバラシイ演奏で
クラッシックとか ジャズだとか ブルースだとか 音楽を そんなジャンルで 分けることは 無意味だと 思いました。  
大切なのは 通い合う心であったり 精神的なレベルの高さであったり・・・ それを裏付けるための テクニックかと、 
一流の方と 肌で接することの大切さを 改めて思いました。

福島から 避難され 今は富士宮市に在住の 小笠原明日香さんの講演
 

主婦という立場から見た事故、 今 なお 福島に残って 暮らしている 友人たちのこと、 放射能という見えない恐怖とともに生きている人々にとって 現実は あの時から 何も変わっていない・・・ 日本中のあらゆる場所から 生きたメッセージを発信し続けていくこと、 そして それを 支えてゆくことが とっても大切だと思います。

今回のために 用意された お芝居 宮元研/作 「花いちもんめ」







花嫁として 満州に渡り
ロシア軍の進駐~敗戦~
4歳の娘を中国人に売るらなければならなかった
母親の苦悩

夫・息子の死~命からがらの引き揚げ・・

日本という国家が夢見た 
その夢のつぐないを
その身でつぐない続けている 女性の姿、

70分間におよぶ 一人芝居を
見事に演じきった 
馬田尚美さんに 拍手!!








最後に 実行委員を代表して 挨拶させていただきました。

「感動の余韻の残る 舞台より 感謝の言葉を述べます。
・・・・今 私の心を充たしている暖かな気持ち、 その気持ちを ここに お出かけくださいました すべての皆様と共有できていることを 大変シアワセに思います。 
感動と感謝に包まれた この空間を ピース(平和)、と呼ぶなら これをキープするために 私たち 一人ひとりが 何らかの小さなアクションを 起こさねばなりません。 何が 必要か? 何が必要でないのか? このフェスティバルが そんなことを 考える きっかけとなってくれたら 大変嬉しく思います。」



11月3日から 5日までは 「富士宮まつり!」


中日(4日)の16時 各町内会が所有する山車(だし)が 浅間大社前に集結します。










 このような 山車が 全部で 20台
 

 




 それは それは 壮観です。













2台の山車が 鼻突き合わせて 競り合い と呼ばれる お囃子合戦を 繰り広げます・・・
(一人残した 母のことが 気になって そこまで いられませんでした・・・)



  

 
祭りの 会場では 粋な法被に身を包んだ 友人・知人多数と出会いました。

皆それぞれの はじけるような笑顔に 思わずこちらも 意味もなく 笑いこけます。





フェスティバルも お祭りも 参加する人 みんなが ハッピイ!でなくっちゃ 意味がない。

「富士山ピースフェスティバル」を支えてくれた 裏方さん、 スタッフの皆様、 本当にオツカレサマでした。
充分 楽しんでいただけたでしょうか?



  


Posted by kotokuji at 13:29Comments(0)