2016年02月28日

添い寝

先々週の木曜日のことです。 母がお世話になっている 老人介護施設より電話があり 「ヨシエさんが 転んで、少し痛がるので 整形外科に連れて行きます。 保険証を お借りに伺ってよろしいでしょうか?」



顔見知りの担当者が来られて状況を説明してくれたのですが・・・

朝 起こして 着替えをさせようと思ったが、別の所からの緊急呼び出しがあり、母は自分で着替えができるので、そのように促してその場を離れ、戻ってきたら ドアの内側で倒れていたそう・・・ 

何かあったら ナースコールのボタンを押せ、と指示したそうですが 認知症がそんなこと理解できる訳がない、おまけに難聴の母に補聴器も装填されていなかったので 聴こえてもいなかったでしょう。

ベッドに腰掛けていたそうですが 立ち上がってしまったら 部屋の反対側のドアまで 掴まるものも 何もない部屋です。 

朝起きたら 着替えよりも何よりもまずトイレでは? と思うのですが・・・

 

外科医の診断では 骨に異常はなかったのだが 戻ってから 嘔吐を催し、心配なので 午後からは頭部のMRI撮影を行ったが これも異常なし、ただ 腰の痛みを相変わらず訴えることと、食欲もまったくないので どうするか? ということになり、 当日 私は東京に出かけていたので、妹たちの判断で 1泊だけお世話になって 翌日 引き取り 別の外科医に診断をしてもらったのですが やはり骨には 異常なし、とのことでした。 

家にあっても 痛みを訴え、食欲はなく 何も食べないのに 嘔吐をくり返し 翌日は 内科医へ。 内科医の診断は「上部消化管出血」、  嘔吐の原因も 強い痛み止めを服用したことによる 副作用だろうとのこと。 

点滴をやっていただいたおかげで かなりハイテンションになりました。



その夜、 母のベッドの横に寝ていた私は 母がトイレに立ったことを ドアを閉めた音で気づき、慌てました。

何も食べていないし、運動量も極端に少ない中で 立ち上がって 転倒したら大変です。  トイレから戻り 痛みを訴える母を ベッドに寝かした後 私も母の布団に潜り込み 母の背後から 背中や腰をさすってあげました。

ウトウトしながら 「いいキモチだよ~ もうイイヨ~」 と言ってくれたあと、 結局 私も そのまま 寝てしまったのです。

翌日からは 毎晩 母に添い寝、 幼い頃の記憶にもない 母と一緒の布団です(母のベッドはセミダブル)
母の腰をしばしさすった後、「もういいよ~ ありがとう」を聞いたら 母と手をつないで眠ります。 

とてもシアワセな気持ちです。

 

事故から 10日が経過、 母の痛みは いっこうによくならず、 ベッドから起こそうとするだけで 顔を歪め 無理に食堂に連れて来ても、痛みが先走って 何も食べられません。  内科医は入院を勧めてくれ 紹介状まで持たせてくれましたが、 妹たち2人と協力しあって できるだけ 家で面倒見よう、ということで一致しました。  運動能力の低下と 何よりも認知症の進行が心配だからです。

「オカアチャン、笑って~」 と言って やっとこの顔です。



痛みゆえに何も食べられない、認知症ゆえに 訴えられない、 「もうそろそろ おいとまするよ」 を繰り返すようになりました。

この痛みが どのようにやわらいでゆくのか、まったく予想ができませんが 訪問看護で 点滴をしてもらえることになりました。 

  この笑顔が戻るまで・・・



長期戦になりそうですが 母が再び笑顔を取り戻す日まで 妹たちとともに最善を尽くそうと思います。



 
*昨日より もう 彼岸のお経まわり です。 



 3月1日発売、『家庭画報 4月号』 に興徳寺の桜が 掲載されました。
 




    


Posted by kotokuji at 21:48Comments(0)

2016年02月10日

我が弟子

2月4日~5日、弟子・泰潤の 「度牒交付式」 が 千葉県鴨川市の清澄寺で行なわれ、師僧として随行いたしました。

「度牒=どちょう」とは 得度した僧に交付される身分証のことで、これによって 日蓮宗の僧侶見習い (沙弥=しゃみ と呼びます) として、認められたことになり、 改名手続きもできます。

(梅が咲きました)



当日、私は葬儀だったので 泰潤の運転する車で 同行してくれた私の妹2人に先に行ってもらい、私が到着したのは 夜でした。



夜の研修が始まっていました。


 (長い正座に 我が弟子は 果たして耐えられるか? と思いましたが、 意外としっかりしておりました)


翌朝 「旭が森」にて お題目を唱えながら 昇る朝日を遥拝します。

  

「旭が森」は 日蓮宗の開祖である日蓮聖人が 今から763年前、建長5年(1253)4月28日 32歳の時、 昇る朝日に向かって「南無妙法蓮華経」と 最初にお唱えした場所で、この4月28日は 私たち 日蓮宗の 「立教開宗記念日 」と制定されています。



私は 今から11年前の2月9日に度牒を受けました。
寒い朝でしたが 言葉で言い尽くせないほどの感動を覚え 涙と鼻水でグシャグシャになりながら お題目を唱えたことを 思い出しました。

息子に 「どうだった?」 と聞いたら 「きれいだった」 と何とも素っ気ない返事、でした。




清澄寺の旭が森からの朝日は 「日本の朝日百選」 に選ばれ、日本で一番早く初日の出が見られることでも有名です。

  
そのまま 本堂に向かい 『度牒』 を受けます。

[度牒交付式]


宗務総長じきじきに 「度牒」と 新しい「袈裟」と「数珠」が手渡されます。



(この後、解散となり、 本当は初々しい姿をカメラに収めるはだったのですが 知り合いのお坊さんと立ち話をしている間に 宿舎に戻ってしまい、再び現れたときは 帰り支度でした。  私の弟子は いつも 素っ気ない。  頬を紅潮させながら 真新し袈裟姿で 度牒を手に駆け寄ってくる、なんてシーンは、マ 期待もしませんでしたが・・・)



帰りに 横浜中華街で 食事をし、

  

折しも 「神奈川県民ホール」 で開催されている 私たちの書道会の展覧会、『芳林展』 に寄って来ました。


(楷書を出品しました)

千葉より戻って 2日後、我が弟子は 身延山大学の入試に向かい、



その日の夜、 ブラジルに向け 出発いたしました。

新富士駅まで見送り 「着いたら連絡してくれ」 と 握手で別れたのですが
昨日 「サンパウロに着きました」 というだけのメールが 届きました。 相も変わらず 素っ気ない・・・


  (北斗七星 ; ひしゃくの柄の方から数えて 2番目の星は 実は2つの星が 重なっているのが わかるでしょうか? 実際の空で これが 裸眼で認識できるかどうかを 昔の軍隊では眼の検査にしたそうです) 


            
息子が ここに来たのは 1昨年の11月の初めでした。 
ブラジルの友人を案内して 2週間、北海道から九州を廻り、 その後 「自分の大切な進路は じっくり決めなさい」 と 言って 興徳寺に置いておきました。  寝るところと 食事と お酒(?)を提供し、若干のお小遣いも与え、 その分、 お寺のお手伝いをする、 という暗黙の了解で・・・

朝のお勤めのお給仕(仏さまへの食事とお茶)、食事の支度や 後片付け、ゴミ出し、掃除等々・・・ をやってもらっていたので いなくなると、一気に私の負担も増えます。  

今月末に帰国し、4月からは 大学の寮生活です。



これが 〈度牒〉 です。








  


Posted by kotokuji at 17:45Comments(0)