2011年05月29日
雨がふります 雨がふる

雨がふります 雨がふる
昼もふるふる 夜もふる
雨がふります 雨がふる
「雨」 北原白秋作詞
この歌も 小さい頃は 何か悲しくていやだったけど
今は しみじみと いい歌だな~ と思います。

さて 東海地方は27日に梅雨入り宣言。 例年より12日、昨年より17日 早いそうです。
台風2号の影響もあって 今日は 朝から終日雨、 今も強く降っています。

雨の写真を 撮ってみたいと思います。
日曜日なので 法事がありましたが
その合間を縫って・・・

ところで 我家の節電対策ですが、順調に(?) 実行しています。
母と二人暮らしで、TVが4台、私のオーディオシステム、パソコンにプリンターが4台 、予備電源は すべてスイッチ付のコンセントにして 普段は切るようにしました。
便座シートが3ケ所、これも電源OFF。
まったく 無駄なことをしていたものだ と思います。
食器乾燥機も 今は ただの食器置き場、時間が経てば乾くし、布巾で拭けばイイ、
電気ポットも止めました。 急須一杯のお湯くらい ガスレンジでその都度 沸かしても2分間です。

新発見は 御櫃(おひつ)に入れたご飯、
水分が抜けて とってもオイシイのです。
冷たいご飯ですが 母も喜んで食べてくれるので
寒くなるまでは これでいきます。
こんなに 涙ぐましい努力をしているのに・・
ふっと気になって 本堂を覗いてみたら
何と電気が点けっぱなし、
思わず「ギャァ~ッ!」でした。
来客があって ご案内して 電話があって呼ばれて、そのまま戻るのを忘れていました・・・
本堂は 大小合わせて 20数灯の照明器具があって 一斉に点灯すると数百ワット。
ささやかな努力も すっ飛んでしまいます。
多いに反省しました。

【本日の母との会話】
おやつの時間に 母を呼ぶと・・・
「今日は 寒いね~」
「コタツが欲しい?」
「コタツなんて まだ早いよ」
ン?・・・ 今 何月だと思ってンですか?!
Posted by kotokuji at
20:58
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2011年05月26日
あざみの歌

いとしき花よ 汝(ナ)はあざみ
心の花よ 汝はあざみ
さだめの道は 果てなくも
香れよせめて わが胸に
横井 弘 作詞
昭和20年(1945)に復員してきた当時18歳の横井弘さんが、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に自分の理想の女性像をだぶらせて綴ったものだそうです。
八洲秀章が作曲した歌がNHKのラジオ歌謡に採用され、昭和24年(1949)より 今日まで 歌い継がれています。
私の 幼き日のセピア色の記憶の中の ワンシーン、
夕暮れ時の あざみの花の色に ラジオから流れる 伊藤久男の この歌が重なり
何故か うら悲しい 思い出となって 蘇ってきます。
ご案内
3月18日から3日間の予定で開催されるはずだった 私の通う書道教室の 書道展、
3月15日に 富士宮地方で発生した 地震によって 延期されていましたが 来月3日より開催の運びとなりました。
近くの方で 興味がある方(ない方も) どうぞ お出かけください。
私は ともかくとして 力作揃いです。 町の書道教室にしては なかなかの レベルかと・・・

今回の私の作品(小品)
『無心』
「無心」になりきれない・・・私

葉桜
ついでの報告
「毎日書道展」 に入賞しました。
私はもちろん 先生までが驚いていました。
「ま・さ・か~・・・!」
呆れ顔・困惑顔の私に 先生がおっしゃいました。
「運も実力のうちよッ!」
「???・・・」
Posted by kotokuji at
21:32
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2011年05月23日
感謝するから しあわせ
先週末、静岡市清水区(興徳寺から 約40km)に住む 叔父(父の弟)危篤の報せがあって、
妹と一緒に駆けつけたのだけど 間に合いませんでした。
清水への 行ったり来たり、と 土・日には 法事があったり ブラジルから 友人が訪ねてくれたり、と かなり忙しい思いもして ブログの更新もままならず。
今、葬儀から戻ったところです。

叔父さんは 84歳でした。
優しくて、強くて、ダンディーで 何よりも、僧侶になった私を いつも応援してくれ 支えてくれた人。
80歳を過ぎても 気力・体力ともに まったく衰えを見せず
若者たちに剣道の稽古をつけ(剣道7段だった)、
月一回は欠かさず 興徳寺に来てくれて 姉と兄(私の父)の墓参をし、
よく旅行にも出かけていきました。
この人は 永遠に元気で生き続けるのだろう、と皆が思っていたのですが・・・
1昨年の大晦日の夜、自宅で倒れ(脳内出血)、右半身の自由と言語を奪われました。
持ち前の体力・気力と明るさで よくリハビリにも励んでおりましたが、今年の3月に 黄疸症状から 胆管に癌が発見され、しかも すでに転移が始まっていた・・・

おばさん(奥さん)が しみじみと
「この人と出会えたことが 私の人生の最大の幸せだったですね~
言葉は少ないけれど 愛されている事を いつも感じていた、
ホントに感謝しているの、
とても強い人だったけど、最後に弱いとこ見せてくれて、充分面倒見させてもらったし、
悔いはないわ、 でも 一度 一緒に歩きたいって 言えばよかったですね~ 」
(叔父さんは 毎朝夜明けとともに ウォーキングすることを日課としていた)

久美子さんの 書
これで 父の兄弟6人全員が あちらの世界。

妹と一緒に駆けつけたのだけど 間に合いませんでした。
清水への 行ったり来たり、と 土・日には 法事があったり ブラジルから 友人が訪ねてくれたり、と かなり忙しい思いもして ブログの更新もままならず。
今、葬儀から戻ったところです。

叔父さんは 84歳でした。
優しくて、強くて、ダンディーで 何よりも、僧侶になった私を いつも応援してくれ 支えてくれた人。
80歳を過ぎても 気力・体力ともに まったく衰えを見せず
若者たちに剣道の稽古をつけ(剣道7段だった)、
月一回は欠かさず 興徳寺に来てくれて 姉と兄(私の父)の墓参をし、
よく旅行にも出かけていきました。
この人は 永遠に元気で生き続けるのだろう、と皆が思っていたのですが・・・
1昨年の大晦日の夜、自宅で倒れ(脳内出血)、右半身の自由と言語を奪われました。
持ち前の体力・気力と明るさで よくリハビリにも励んでおりましたが、今年の3月に 黄疸症状から 胆管に癌が発見され、しかも すでに転移が始まっていた・・・

おばさん(奥さん)が しみじみと
「この人と出会えたことが 私の人生の最大の幸せだったですね~
言葉は少ないけれど 愛されている事を いつも感じていた、
ホントに感謝しているの、
とても強い人だったけど、最後に弱いとこ見せてくれて、充分面倒見させてもらったし、
悔いはないわ、 でも 一度 一緒に歩きたいって 言えばよかったですね~ 」
(叔父さんは 毎朝夜明けとともに ウォーキングすることを日課としていた)

久美子さんの 書
これで 父の兄弟6人全員が あちらの世界。

Posted by kotokuji at
20:36
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2011年05月18日
具体的に

アノネ
がんばんなくても
いいからさ
具体的に
動くことだね
みつを
相田みつをさんの言葉です。
あの日以来、 ずっと考えています。
今、何ができるか?
とりあえず 節電をやってみます。
1年間の 月毎の消費量を表にしてみました。
初めて知ったのですが、月の消費量といっても、検針の日から、次の検針日までなので 月によって28日間とか34日間とかバラつきがあります。
これを30日単位に計算しなおしました。
解った事は、我家は7月~9月がもっとも 消費量が少ない、という事実です。(夏は明るいので 照明をあまり使わないし、何よりも クーラーがないので・・・)
さあ、ここから 具体的に何をしたらいいか?
トイレの便座シートはOFF, 保温ポットも夜間はOFF, 炊飯ジャーのご飯は おひつ に移す、パソコン・TV・オーディオ等 予備電源を落とす。
照明をこまめに切る(なるべく使わない)、 仏壇の常夜灯も(仏様の許可をいただいて)消しました。

ブラジルで こんなことがありました。
電力の8割を水力発電で賄うブラジルで 降水量不足から、需要と供給のバランスが崩れ、 政府は 全国民に 20%節電を訴えたのです(前年度同時期の3ケ月平均から計算された目標値が 各消費者に示された)。
3ケ月間ほどの 準備期間を与えられましたが、 達成できない場合は罰金、あるいは 電力供給を一時的に止める、というブラジルならではの 一方的な通達でした。
結局、半年後に大雨が降って このプランは終了したのですが、強引とも思えるこの政策を発令した政府も 、おとなしく従った国民も 大したもんだ、と半ば呆れながら思ったものです。
でも 「やれば できるもんだ」 ということを 改めて実感したのです。

我家の目標=前年同月比―20%としました。 どんな結果になるか 楽しみです。

10年前のブラジルの節電計画、 ちょっと記憶が曖昧だったので サンパウロのMIYAKOさん に確認を依頼したところ、 几帳面な性格そのままに よくよく調べて、回答して下さいました。
ありがとうございます。
作品を再度 up します。

〔見守る横顔、見守られる横顔〕
「どのように愛するか。何を伝えていくか。」

富士山も少しづつ 夏の装い
来月、14~17日、 母のショートステイが とれたので 東松島に行ってきます。
市役所に問い合わせたところ、衣類は もう要らない、とのこと。
「避難所に 洗濯機を持っていってあげたいんですが~」
「いや、それももう備わっています」
「作業用の 軽トラなど どうでしょう?」
「それもすでに 数台の寄付を受けておりまして・・・」
状況は 刻々と変化しています。
今回は 乾いたヘドロを詰めるための 「土のう袋」を大量に持っていくことにしました。
これは 今のところ いくらあっても足りない、とのことです。
Posted by kotokuji at
20:52
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2011年05月15日
何ができるか?
木村久美子さん、書家。 そして 演劇人・・・
『書』を もっと身近なものにと 「暮らしの中の 書」 とか、 「書とパフォーマンス」とか あらゆる可能性を追及し、
楽しく、さりげなく、そして 深~く・・・ 『書』と共に生きている方。
興徳寺の檀家さんでもあり、 「花まつり」では 石段に敷いた50mの紙に 一気に書き下ろす、というパフォーマンスを演じてくれます。

その久美子さんが 自宅のすべての空間を解放し 「写真と書 父娘展」を開催しました。

今年91歳になる父親は アマチュアの写真家で、
戦前から撮り貯めた 貴重な作品が
久美子さんの作品とともに展示されています。


久美子さんが 今回 準備された作品は 何と250点、
和紙や反物を染め 古い着物や帯を利用して作品を表装し、 何とも味わいのある趣です。
そしてそれらに ごくリーズナブルな値が つけられ、その半額を 義援金として差し出したい、という試みです。

久美子さんです。
さて、こちらは ブラジルは サンパウロ市に住む 友人の アーティスト、MIYAKOさん。
Amazon.co.jpによる 『たすけあおうNippon東日本大震災義援金プロジェクト』 というアートを通じての支援活動に 参加した、 という連絡がありました。
パソコンの壁紙になる作品の画像を アーティストが無償で提供、 Amazonはこれを販売、 収益の全額は 義援金として寄付される という プロジェクトです。
早速 私も 購入いたしました。
→http://www.amazon.co.jp/donation
タイトル:〔見守る横顔、見守られる横顔〕
「どのように愛するか。何を伝えていくか。」

とっても いい感じです。
作者の 繊細さ・ やさしさ・ 深い愛、 が 伝わってきます。

「今、何ができるか 考えてみよう」 とよく言われます。
GWが終わって ボランティアの数が半減したそう、
行ける人は 是非 行って欲しい、と思います。
よく政治家が 現地を視察してきて 「いや~ひどかった、 胸が痛みます」 などと言ってますが、 見るだけじゃなくて、 半日でもいいから 働け! と言いたい。
復興は 5年~10年 とかかる 長い道のり、
その長い時間を ずっと意識的に関わりながら、「何ができるか?」を考えていきたい。
「何ができるか?」
それは 「生き方を変える」 ということ、 新しい価値観に向けて 少しだけ軌道修正をし、 それに向かって 皆で努力してゆくこと、 だと思います。
『書』を もっと身近なものにと 「暮らしの中の 書」 とか、 「書とパフォーマンス」とか あらゆる可能性を追及し、
楽しく、さりげなく、そして 深~く・・・ 『書』と共に生きている方。
興徳寺の檀家さんでもあり、 「花まつり」では 石段に敷いた50mの紙に 一気に書き下ろす、というパフォーマンスを演じてくれます。

その久美子さんが 自宅のすべての空間を解放し 「写真と書 父娘展」を開催しました。

今年91歳になる父親は アマチュアの写真家で、
戦前から撮り貯めた 貴重な作品が
久美子さんの作品とともに展示されています。


久美子さんが 今回 準備された作品は 何と250点、
和紙や反物を染め 古い着物や帯を利用して作品を表装し、 何とも味わいのある趣です。
そしてそれらに ごくリーズナブルな値が つけられ、その半額を 義援金として差し出したい、という試みです。

久美子さんです。
さて、こちらは ブラジルは サンパウロ市に住む 友人の アーティスト、MIYAKOさん。
Amazon.co.jpによる 『たすけあおうNippon東日本大震災義援金プロジェクト』 というアートを通じての支援活動に 参加した、 という連絡がありました。
パソコンの壁紙になる作品の画像を アーティストが無償で提供、 Amazonはこれを販売、 収益の全額は 義援金として寄付される という プロジェクトです。
早速 私も 購入いたしました。
→http://www.amazon.co.jp/donation
タイトル:〔見守る横顔、見守られる横顔〕
「どのように愛するか。何を伝えていくか。」

とっても いい感じです。
作者の 繊細さ・ やさしさ・ 深い愛、 が 伝わってきます。

「今、何ができるか 考えてみよう」 とよく言われます。
GWが終わって ボランティアの数が半減したそう、
行ける人は 是非 行って欲しい、と思います。
よく政治家が 現地を視察してきて 「いや~ひどかった、 胸が痛みます」 などと言ってますが、 見るだけじゃなくて、 半日でもいいから 働け! と言いたい。
復興は 5年~10年 とかかる 長い道のり、
その長い時間を ずっと意識的に関わりながら、「何ができるか?」を考えていきたい。
「何ができるか?」
それは 「生き方を変える」 ということ、 新しい価値観に向けて 少しだけ軌道修正をし、 それに向かって 皆で努力してゆくこと、 だと思います。
Posted by kotokuji at
20:59
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2011年05月11日
銀の雨
朝から 雨が降っています。
若い頃は 雨が降ると、 がっかり、残念、悔しい、悲しい・・・等々 あまり嬉しいイメージは なかったのですが、
今は 雨もいいなぁ~ と思います。

静かで 空気が しっとりとしていて 訪問者もなく 何とも落ち着く時間です。
こういう日は じっくりと机に向かって 貯まっている寺務(お寺の会計処理など)を 片付けようか、とも思ったのですが 雨をイメージした歌などを 何となく口ずさんでいるうちに、急に 雨の写真を撮りたくなって 長靴に特大の傘を差して 外へ・・・

雨に煙る新緑と空の明るい灰色のコンビネーション、 鮮やかな花の色、 心がウキウキしてきます。

雨、そのものを 撮ってみたいと思ったけれど、 これが なかなか・・・




ところで 雨をテーマにした歌って どれくらいあるのだろう?
私が思い出す曲といえば
井上ひろし;雨に咲く花(小学生だったけど 意味も解らず歌っていた)
西田佐知子;アカシヤの雨が止む時(アカシヤの雨とは何だ? と思ったけど 西田佐知子には憧れた)
橋幸夫;雨の中の二人(ちょうど高校に入った頃、雨が降るとよく歌った、 ♪雨が~小粒の真珠なら~ )
和田アキ子;どしゃ降りの雨の中で(鮮烈だった~)
三善英史;雨(音程がとりにくい歌で スター誕生というオーディション番組で 松田トシさんという審査員が 出演者にいきなり歌わせて困らせていた)
八代亜紀;雨の慕情(阿久悠さんの 何ともイジラシイ詩、わかるな~と何度つぶやいたことか)等々・・・
好みでいえば
吉田拓郎;たどり着いたらいつも雨降り
さだまさし;雨やどり
小室等;雨が空から降れば
小椋佳;春の雨はやさしいはずなのに
井上陽水;傘がない
・・・ そして
松山千春;銀の雨
妻が 松山千春の 大ファンで さんざん聴かされた、 次男などは 胎教に使われてしまった・・・
♪いつの間にか、降りだした雨 窓の外は、銀の雨が降る~ というフレーズが 雨の景色と重なって いつもフラッシュバックされます。


菜の花 も 終わりです
若い頃は 雨が降ると、 がっかり、残念、悔しい、悲しい・・・等々 あまり嬉しいイメージは なかったのですが、
今は 雨もいいなぁ~ と思います。

静かで 空気が しっとりとしていて 訪問者もなく 何とも落ち着く時間です。
こういう日は じっくりと机に向かって 貯まっている寺務(お寺の会計処理など)を 片付けようか、とも思ったのですが 雨をイメージした歌などを 何となく口ずさんでいるうちに、急に 雨の写真を撮りたくなって 長靴に特大の傘を差して 外へ・・・

雨に煙る新緑と空の明るい灰色のコンビネーション、 鮮やかな花の色、 心がウキウキしてきます。

雨、そのものを 撮ってみたいと思ったけれど、 これが なかなか・・・




ところで 雨をテーマにした歌って どれくらいあるのだろう?
私が思い出す曲といえば
井上ひろし;雨に咲く花(小学生だったけど 意味も解らず歌っていた)
西田佐知子;アカシヤの雨が止む時(アカシヤの雨とは何だ? と思ったけど 西田佐知子には憧れた)
橋幸夫;雨の中の二人(ちょうど高校に入った頃、雨が降るとよく歌った、 ♪雨が~小粒の真珠なら~ )
和田アキ子;どしゃ降りの雨の中で(鮮烈だった~)
三善英史;雨(音程がとりにくい歌で スター誕生というオーディション番組で 松田トシさんという審査員が 出演者にいきなり歌わせて困らせていた)
八代亜紀;雨の慕情(阿久悠さんの 何ともイジラシイ詩、わかるな~と何度つぶやいたことか)等々・・・
好みでいえば
吉田拓郎;たどり着いたらいつも雨降り
さだまさし;雨やどり
小室等;雨が空から降れば
小椋佳;春の雨はやさしいはずなのに
井上陽水;傘がない
・・・ そして
松山千春;銀の雨
妻が 松山千春の 大ファンで さんざん聴かされた、 次男などは 胎教に使われてしまった・・・
♪いつの間にか、降りだした雨 窓の外は、銀の雨が降る~ というフレーズが 雨の景色と重なって いつもフラッシュバックされます。


菜の花 も 終わりです
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19:05
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2011年05月08日
だいじょうぶ
ヒーリングアート作家 Yumeさんの 原画展の案内をいただき、行ってきました。
場所は 沼津市の [Gallary カサブランカ] です。

Yumeさんの作品 kusamandara
Yumeさんのことは 『興徳寺便り 第12号』の 「紙上法話」でも取り上げましたが、
ここに再度 紹介させていただきます。

Yumeさん、
本名 岡澤夢明子(おかざわゆめこ)さん、
裾野市を拠点に活動しているヒーリングアーティスト 、
絵を描き、詩を書き、はたまた自作自演のCDを製作、
展覧会や講演会などで、
日本中を忙しく飛び回っています。
実は 私の幼馴染の同級生。 だから 私は ユメちゃんと 呼んでいるのですが・・・
幼い頃 両親が離婚、興徳寺のすぐ近くの父親の実家に預けられ 小学校4年までを過ごしました。
父親が再婚し 富士宮市の新しい家に引き取られたものの 虐待~自殺未遂をくりかえし、家出・・・
その後 結婚して3つ子の母となるも、子供を引き取り離婚・・・
そんな彼女に 私がいつも勇気づけられたのは、
逆境の中、 手の中にあるものを せいいっぱい使って 明るく生きている姿であり、
彼女の口癖「だいじょうぶ」という言葉でした。
きっと大丈夫
それは
だれかが いつも見守っていて
その中で起きていること
自分に恥ずかしくないように
生きていたら
いつだって
きっと 大丈夫!
おかざわゆめこ 「だいじょうぶのレシピ」より
久しぶりの ユメちゃんは 相変わらずのエレガントで カメラを持って行かなかったのが ちょっと残念。
彼女の 透き通るような声を聴いていると 魂が 宇宙空間に溶け込んでいくよう・・
近くの方、 是非 訪ねてください。 Gallery カサブランカ http://www4.tokai.or.jp/g-cb

この原画展、 即売もしています。
彼女の原画は どれも ウン十万円ですが
この 「だいじょうぶ」 は、 私にも買えました。
さっそく 玄関に 掲げました。
「だいじょうぶ! 」
と いつも思うことが とっても大切、
そのうちに 何が起きても
「だいじょうぶ」 に なります。

今日は 「母の日」
母には 定番のカーネーションとケーキを、
「今日は 何の日? アタシの誕生日?」
「アンタの誕生日は いつ?」
「10月13日」
「で、今は何月」
「9月」
いいなぁ~、 ぜんぜん だいじょうぶ ですよ!

場所は 沼津市の [Gallary カサブランカ] です。

Yumeさんの作品 kusamandara
Yumeさんのことは 『興徳寺便り 第12号』の 「紙上法話」でも取り上げましたが、
ここに再度 紹介させていただきます。

Yumeさん、
本名 岡澤夢明子(おかざわゆめこ)さん、
裾野市を拠点に活動しているヒーリングアーティスト 、
絵を描き、詩を書き、はたまた自作自演のCDを製作、
展覧会や講演会などで、
日本中を忙しく飛び回っています。
実は 私の幼馴染の同級生。 だから 私は ユメちゃんと 呼んでいるのですが・・・
幼い頃 両親が離婚、興徳寺のすぐ近くの父親の実家に預けられ 小学校4年までを過ごしました。
父親が再婚し 富士宮市の新しい家に引き取られたものの 虐待~自殺未遂をくりかえし、家出・・・
その後 結婚して3つ子の母となるも、子供を引き取り離婚・・・
そんな彼女に 私がいつも勇気づけられたのは、
逆境の中、 手の中にあるものを せいいっぱい使って 明るく生きている姿であり、
彼女の口癖「だいじょうぶ」という言葉でした。
きっと大丈夫
それは
だれかが いつも見守っていて
その中で起きていること
自分に恥ずかしくないように
生きていたら
いつだって
きっと 大丈夫!
おかざわゆめこ 「だいじょうぶのレシピ」より
久しぶりの ユメちゃんは 相変わらずのエレガントで カメラを持って行かなかったのが ちょっと残念。
彼女の 透き通るような声を聴いていると 魂が 宇宙空間に溶け込んでいくよう・・
近くの方、 是非 訪ねてください。 Gallery カサブランカ http://www4.tokai.or.jp/g-cb

この原画展、 即売もしています。
彼女の原画は どれも ウン十万円ですが
この 「だいじょうぶ」 は、 私にも買えました。
さっそく 玄関に 掲げました。
「だいじょうぶ! 」
と いつも思うことが とっても大切、
そのうちに 何が起きても
「だいじょうぶ」 に なります。

今日は 「母の日」
母には 定番のカーネーションとケーキを、
「今日は 何の日? アタシの誕生日?」
「アンタの誕生日は いつ?」
「10月13日」
「で、今は何月」
「9月」
いいなぁ~、 ぜんぜん だいじょうぶ ですよ!

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19:31
│Comments(0)
2011年05月04日
遣り方

興徳寺の裏山の中腹を横断して 山道がありました。
私が子供の頃は、 その道を 山で伐りだした丸太を載せた
馬橇(うまぞり)が 行き来していたのですが・・・

いつしか 山の仕事は無くなり、 この道を通う人も無く、 放棄されたままとなりました。
雨が降れば 水の通り道となって 侵食が進み、 やがて谷となり、 50年が経過して その深さは 4メートルにもなってしまいました。
大きくえぐれた その割れ目は 地滑りを起こす原因となります。
裏山に登るたびに 谷底を覗き込んでは、心配していたのですが、 たまたま同じ班に大手ゼネコンを退職した、遠藤さんという方がいて(しかも檀家さんで)、 その方が 町内会長だった昨年、 県に治山工事の申請をしてくれました。
それが このたび認可され 先週より工事開始。

全長83.4m の 法面(のりめん)を なだらかに切り取り、 土留めをし、 谷底を上げ、流路を60cmx60cmの U字溝(プアラスチック製とか)で確保する、という計画です。
元 土木屋の私としては 現場を見ると 何となく 胸がときめく。
この程度の現場(失礼) は 工法もまったくムカシと同じで、 今の 私でも 十分やりこなせるなぁ~ などと 空想しながら 時折 見学に行きます。

工事を担当する者の 最初の現場仕事が 遣り方(やりかた)。
上の写真の 左に写っている 木の定規のようなもので、丁針(ちょうはり)ともいいますが、 これを基準にして 施工の形が決まる、大変大事なものです。
北海道に暮らした 25~30歳の頃、 2~3人の助手を連れて 新しい現場に入り、来る日も来る日も この 遣り方 の作業をしていたことを 思い出しました。

上流側から
ところがです。
土木の世界でも技術革新が進み、今では この 遣り方 が無くても 工事ができるそう。
何でも 3D化したデータを 無人のブルドーザにインプットすると 勝手に土を切り取ってゆくシステムがもう実現化しているとのこと、 信じがたい話ですが これを話してくれたのは 私の後輩で 「建設システム」という 業界最大手のオーナー経営者、栗田さん、
嘘をいう人ではないので とりあえず 信じました。
遣り方 を変えるとか 工夫するとかの レベルではなく、 遣り方 そのものが 必要ない、という時代。
無人攻撃機で ピンポイント攻撃、という時代。
それでも 暴走している原発ひとつ、 最後は 人の手で 止めるしかないのか?

田植え の終わった 田んぼ
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19:45
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2011年05月01日
ボランティア
相棒・ミキオちゃんと 私の小学校時代の 同級生 キミヨちゃん という女の子(もう61才ですが)から、
「できたらアタシもボランティアに行ってみたい」と申し出を受けました。

そこで 前回親しくなった 東松島市のボランティアセンターの職員さんに 電話をいれてみると、 「現在は 学生さんなど グループ単位のボランティアが多く入っていて 県外からの個人ボランティアは 受け付けていないのですが、 2人くらいなら 市民ボランティアの枠に入ってもらいます」 という 返事がいただけました。
キミヨちゃんとご主人は 先週の金曜日に帰ってきましたが 被災地の状況も ボランティア情報も 刻々と変化しています。
復興のための 仕事量は膨大なものですが ボランティアの食事・宿泊、駐車場の確保等 参加者側の問題と 対応する側の スタッフの数、人間と道具を運ぶための車両等の バランスも成立させなければなりません。
また、 仕事を いかに効率よく手配していくか、という事務処理の問題もあります。
元 市役所職員のミキオちゃんが 「こんな時こそ 地方自治体の職員をボランティアセンターのスタッフとして 出向させるべきだ」と、よく言いますが まったく同感です。 この貴重な体験から得られた 有形・無形のノウハウが 次に自分たちの町に 災害が起きたときに 生かされます。

東松島市 ボランテイアセンターの美人スタッフ、 彼女たちもボランテイア、そして被災者です。
そんな中で届いたメール、
私も所属する 「日本を美しくする会(トイレ掃除の会)」より
(要旨抜粋)
東日本大災害 救援活動参加者募集要項
石巻専修大学キャンパス内に災害ボランティアセンターがあり、そこにべースキャンプを張り、ボランティアセンターと連携を取りながら救援活動をする。
①ベースキャンプの設営
テント3張りを持ち込み、その中で生活できる体制を築く。
寝泊り、食事まで用意。(但し寝袋持参)
送迎用車輛1台、運搬用車輛2台常時配備。
傷害保険の加入。
②活動期間
4月26日(火)夜発~6月29日(水)までの約2ヵ月間とする。
希望する日程のご登録をいただき、お一人でも参加できるよう現地にて管理していく。
最大20名までとする。
③交通の便
一週間に一度程度、愛知から現地(石巻)へ向けて、物資運送便を出しますので、それに便乗して頂く か、毎夜東京・名古屋・大阪・福岡等から夜行バスが出ています。各自ご手配下さい。
また、仙台空港 及び 東北新幹線もご利用下さい。
このやり方はとっても いい! と思いました。

一人でも多くの方が 被災地に赴いて 自らの体を使って奉仕をし 被災者の悲しみや苦しみ、そして勇気や希望を 肌で感じていただけたら と思います。

田植え前の 水が張られた 田んぼです。
「できたらアタシもボランティアに行ってみたい」と申し出を受けました。

そこで 前回親しくなった 東松島市のボランティアセンターの職員さんに 電話をいれてみると、 「現在は 学生さんなど グループ単位のボランティアが多く入っていて 県外からの個人ボランティアは 受け付けていないのですが、 2人くらいなら 市民ボランティアの枠に入ってもらいます」 という 返事がいただけました。
キミヨちゃんとご主人は 先週の金曜日に帰ってきましたが 被災地の状況も ボランティア情報も 刻々と変化しています。
復興のための 仕事量は膨大なものですが ボランティアの食事・宿泊、駐車場の確保等 参加者側の問題と 対応する側の スタッフの数、人間と道具を運ぶための車両等の バランスも成立させなければなりません。
また、 仕事を いかに効率よく手配していくか、という事務処理の問題もあります。
元 市役所職員のミキオちゃんが 「こんな時こそ 地方自治体の職員をボランティアセンターのスタッフとして 出向させるべきだ」と、よく言いますが まったく同感です。 この貴重な体験から得られた 有形・無形のノウハウが 次に自分たちの町に 災害が起きたときに 生かされます。

東松島市 ボランテイアセンターの美人スタッフ、 彼女たちもボランテイア、そして被災者です。
そんな中で届いたメール、
私も所属する 「日本を美しくする会(トイレ掃除の会)」より
(要旨抜粋)
東日本大災害 救援活動参加者募集要項
石巻専修大学キャンパス内に災害ボランティアセンターがあり、そこにべースキャンプを張り、ボランティアセンターと連携を取りながら救援活動をする。
①ベースキャンプの設営
テント3張りを持ち込み、その中で生活できる体制を築く。
寝泊り、食事まで用意。(但し寝袋持参)
送迎用車輛1台、運搬用車輛2台常時配備。
傷害保険の加入。
②活動期間
4月26日(火)夜発~6月29日(水)までの約2ヵ月間とする。
希望する日程のご登録をいただき、お一人でも参加できるよう現地にて管理していく。
最大20名までとする。
③交通の便
一週間に一度程度、愛知から現地(石巻)へ向けて、物資運送便を出しますので、それに便乗して頂く か、毎夜東京・名古屋・大阪・福岡等から夜行バスが出ています。各自ご手配下さい。
また、仙台空港 及び 東北新幹線もご利用下さい。
このやり方はとっても いい! と思いました。

一人でも多くの方が 被災地に赴いて 自らの体を使って奉仕をし 被災者の悲しみや苦しみ、そして勇気や希望を 肌で感じていただけたら と思います。

田植え前の 水が張られた 田んぼです。
Posted by kotokuji at
20:52
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