2013年07月30日

興徳寺をきれいにする日

7月28日、『興徳寺をきれいにする日』
興徳寺をみんなできれいにしましょう、という日です。

朝の7時に開始します。

 

 


仕事は 本堂の掃除、 庭木の剪定、そして 草刈・・・





猛暑の中、 檀家さんが 本当によくがんばってくれます。













本堂の中も 周辺も・・・・




もっとも 大変な作業が 山の斜面の草刈りです。





本当に おつかれさまでした。



42名の方が 参加してくれました。




笑顔が とってもイイ。




檀家さんが 亡くなりました、 84才でした。
高校2年生のとき 統合失調症、となり ずっと入院治療を受けてきました。
両親も 身内の方々も 相次いで他界され たった一人の姪が喪主を務めます。
ご遺体を本堂に安置いたしました。 しわもなく シミもない 美しいお顔でした。

「この方のおかげで 私はオトナになれた、本当に感謝しています。」と泣きながら 姪御さんが・・・
言葉を失い、病院の中だけで 人生の大半を過ごされた この美しき方も きっちりとその使命を果たされ 今 ほとけ様の国へ 旅立って行かれます。

参列者2名だけの葬儀、本日、心を込めて 努めます。


  


Posted by kotokuji at 05:15Comments(0)

2013年07月21日

栞里(しおり)さん

ブログの更新が遅れてしまいました。 本格的なお盆のお経廻りの前に 『興徳寺便り』を作成しなければならず、今回 100号ということで 特集号を組むことにしたのですが・・・   その膨大な資料に目を通して、実際に編集するまでに 予想以上に時間がかかってしまいました。



そこに 檀家さんの訃報、

枕経に伺って 一番最初にすることは 遺体にかけられた白い布を外すことですが・・・
そこに現れたのは 本当に美しい お顔でした。 手で触れれば 温かく 艶があって ほのかに息づいているようでした。
平成3年生まれの22歳、このような美しいお顔を見ながら お経を唱えたのは初めて、平成生まれの方の 葬儀も初めてのこと。

「可哀そう・・・」という声が聴かれます。
誤解を恐れずに 言わせていただければ 可哀そうなのは お母さんであって ご遺族であって 体を離れた魂(霊)は 悲しんでいない、悔しがっていない、生きている我々を羨ましがっていない・・



利発で活発で明るい女の子だったそうです。負けず嫌いで 幼稚園の年少組では 運動会、マラソン大会等 常に先頭にあったそう。 5歳の時、突然不調に陥り、検査の結果、脳腫瘍に水頭症を併発していることが判明。

脳腫瘍手術の後遺症である 軽い運動機能不全と 水頭症治療のための シャントチューブという細い管を体内に装填しての 人生でした。 

脳腫瘍の再発、シャントチューブの詰まり、癒着など、そのたびに 手術~入院を繰り返し、小学6年で 両親が離婚という悲しい体験もしましたが、屈折した感情は一切持ち合わせず、周りは周り、自分は自分と割り切り、負けず嫌いの性格は そのままに 己に厳しく 他人にやさしき女の子であったそう。
 

泣き言は一切言わぬ 強い女の子でした。そして真の強さとは 優しさであることを 教えてくれた女の子でした。


無事 高校も卒業し 市内の紙加工会社に就職、
社会人としての一歩を歩み始めたばかりでしたが、
昨年3月の定期検診で 自覚症状もないままに
再発を告げられ、入院。
摘出手術の結果 悪性腫瘍(グレードⅣ)、
神経膠芽腫にて余命早くて半年、
一般に12~15ケ月との宣告を受けたのでした。 




いったん退院するも8月26日激しい頭痛を訴え入院、
再び生きて還ることは叶いませんでした。

病状は 少しづつ、そして確実に進行し、本年6月末、すべての運動機能を失い、自分の意思で動かせるのは 瞼のみ、となりました。




7月15日、最後の時がきました。 家族が見守る中、お母さんが 両肩を抱いて「シオリちゃ~ん!」と呼びかけると、白眼が反転して きっちりと母の眼を覗き込み、そして唇が つぶやくように動いた・・・
「○ ○ ○ ○ ○・・」
それから 大きな呼吸を3回、その後 生命を証明するあの波形が 水平になった・・・



お母さんは ずっと考えていました。 「最後に何を言いたかったんだろう?」って・・
「『ありがとう』だろう?」と、おじいちゃんが、 
「イヤ、口の形が違う」・・ そして 閃いた! 

毎朝 出勤前に病室を見舞うと、まだ 口がきけるころ 「今日も一日 ガンバルゾ~、オォ~ッ!」と言って こぶしを突き上げて 笑顔で母を送り出す。 それから 懸命にリハビリをこなし 苦痛と不安と闘い、 
夕刻 「ただいま~ 今日はどうだった?」と訊くと
 「がんばった~」と 一言、 

毎日この繰り返し・・・
周りに気を使い、決して 苦しい顔は見せなかったけど やっぱり ムスメはむすめ、 お母さんにだけは 本音で話したのでしょう。 

「そうか 最後の言葉は 『がんばった~』 だったんだ」・・・と母親の 緑里(みどり)さん。




「佐野栞里(しおり)さん、今回の人生、よくがんばったネ 」と ホトケさまが迎えてくれることでしょう。
 
多くの人に 元気と勇気を与え続けた、栞里さん、 立派に 今回の人生の使命を果たしましたネ、

「この子には 人生を楽しませてもらった」とおじいちゃんが・・・ いい言葉だと思います。 でも本当に人生を楽しんだのは、シオリちゃん! あなたではなかったでしょうか?

「本当にありがとうございました。 菩提寺の住職として 心より御礼申し上げます」




いよいよ お盆の棚経がスタートします。   


Posted by kotokuji at 21:13Comments(0)

2013年07月10日

どんぐり総会

梅雨が 明けました。 とっても暑い日が続いています。




7月7日は 『YUNOどんぐりの会 第2回定期総会』でした。



総会に先立ち、 昨年植樹した山で 草刈りの作業、

植樹した苗木は順調に育っていますが、
草はそれ以上に よく育ってくれます。












 



  
  滝のような汗をかいた後の
  「かき氷」




 『総会』

「会員72名のうち、出席者35名、委任状出席者30名、出席率91%、よって総会は成立しました。」 
と 事務局長、ミキオちゃんが 宣言。

続いての会長挨拶では・・・




「おかげさまで 『YUNOどんぐりの会』の第2回定期総会が 無事開催できましたことを まずは 御礼申し上げます。 この村を訪れてくださった方たちが 皆 口をそろえて 『ここは イイトコですね~』とおっしゃってくださいます。 富士山、 清らかな清流、 美しい棚田、 私自身も しみじみと そして つくづくと イイトコダナ~、と思います。 足りないのは 秋の紅葉です。 私たちはもとより 御縁で結ばれた すべての方々にとって ここが 心のフルサトとなりますよう、 そんな里山を目指して 一緒にユメをみましょう!」





 お待ちかねの 
バーベキュー・タイム

 
  定番 「富士宮ヤキソバ」





「針葉樹で覆われた フルサトの山を 広葉樹に戻したい」 それだけのために 集まってくれた 仲間が 70名を超えました。 全員が 年間3000円の会費を払ってです。 
着実に 確実に ユメが 具現化してゆくこと、 スバラシキ仲間に 感謝!です。





昨夜、富士山5合目に行ってきました。
星の写真を撮るためです。 






北斗七星 と 北極星


富士山5合目の駐車場は 標高2400m、
梅雨明けの空は それはそれは 美しかった・・・

車で行けて 降るような星を眺められる場所、日本の中でも そう多くはないでしょう、 
私の家から 車で1時間です。

何ともゼイタクな・・・ 本当に ありがたいことです。 
 



前回のブログで 書き忘れましたが、 7月1日、妻が逝き、その翌年の 7月1日、 入寺式を挙行して 興徳寺の住職となりました。 

そして 本日、7月10日は 7月1日同様、 私にとっては 大切な日、
9年前のこの日 弟が 事故で即死、 
それが 私が 僧侶を志す きっかけとなりました。

日本に戻って 10年目に入ります。
10年が ひと区切りというなら 本日からの1年をもって その ひと区切りの総括とするべく
精進して まいります。


  


Posted by kotokuji at 19:41Comments(0)

2013年07月02日

7月1日

昨日から 7月、

1年の半分が終わってしまった、ということ、
私にとっては 4月の「花まつり」が終わってから6月末までの 約3ケ月が 1年でもっとも自由な時間がとれるときで、 春の訪れとともに それはそれは 胸のときめく時でもありました。

  












それが 終わってしまった・・・ 東北に一回行けたことはヨカッタ、 
北海道に行けなかったことは、残念だった・・・    でも他に 何ができたというのか? 

毎年 この日を迎えては ため息をつく私・・・



7月1日は 妻の命日です。 今年で 丸8年、仏式にいえば 「九回忌」です。







今年も妹たちが お墓に
妻の好きだった ひまわりを供えてくれました。 

感謝!












妻のお母さんも毎年来てくれます。





ブラジル時代、 小さな建築会社を営んでいた私は ある顧客とのトラブルから 多額の借金に苦しんでいました。 もがいてももがいても 奈落の底に落ち込んでゆくような苦しみの中で 妻が私を支えてくれていました。

霊感が高く、占い好きで、 明るい人でした。

私の掌をとって 「ケンちゃんの運命線、すっご~い、50過ぎたらすごくなるよ~」
「もうじき サンパウロからちょっと離れた町で 大きな工事の契約にサインするってよ~ ○○(友達の占い師)が言ってたよ~」 「ダイジョウブだよ~ だいぶよくなってきたよ~ 心の扉が開き始めている、明かりがもれだしたよ~」そんな言葉を いつも私に投げかけながら、 ちょっと 小首をかしげて 「ホントは お坊さんになるのが 一番いいんだけどね~」 と あやしげなことをつぶやくのでした。



弟の葬儀に戻ってきて 突然 近くのお寺のご住職から 「ブラジルを引き払って 坊さんにならないかね、それが一番いいんだけどね」との話を受けた時、 ブラジルの妻に電話をすると 「アタシはそうなると思ってたよ~ お父さんが 今日まで生きていてくれたってことは そういうことなのよ、 きっとイイお坊さんに なると思うよ~」 そして 「アタシは 当分 帰んないけどね~」 と付け加えました。

『インデペンデンテ(自立)』 を信条とした 妻、
53年の人生の最後の1年、きっちりと自立を果たし、思うがままに生きた。 それはそれは 彼女にとって 密度の濃い 1年だったのでしょう。




2005年6月、9日間に渡って 日本の政府関係の旅客2人を案内し、16日深夜、空港の出発ゲートで 二人に手を振って見送った後、不調を訴え、 そのまま 車椅子で空港内の診療所に運ばれ、テーブルにバッグを 置いて意識を失った、





プロのガイドが 自らの戦場で 
きっちりと仕事を終えて 逝った、 

「カッコイイジャン!」と 息子たちと・・・












7月1日、松永初代とともに 松永賢一が死んだ・・・ 

同日 泰然が生まれた・・・





7月のお盆~8月のお盆~お彼岸・・・と一年で最も 大変な時期が 始まりました。 気をひきしめて 精進します。  


Posted by kotokuji at 21:04Comments(0)