2012年03月25日

興徳寺の花便り

この時期、 このブログへの訪問者の数が グンと増えます。
興徳寺の 桜の開花状況が気になる カメラマンの方たちでしょうか?

発表します!

 





これは 石段の一番下のしだれ桜、
あと1~2日で ほころぶのでは?と思われます。

これが一番最初に咲いて、
上の段の桜が咲くのがそれから3日後くらいでしょうか?

例年に比べて 大分遅れています。
(1昨年は3月17日、昨年は21日でした)














4月1日の 「花まつり」には 何とか間に合って欲しい。



                            (これは梅の花です)

興徳寺の もうひとつの 花、 ヨシエさんのことを・・・


母の起床時間は7時半~8時ですが、
お彼岸の お経廻りの期間中は 私が7時に出発するので
5時20分ころ 起きてもらって 6時に朝食、
というパターンでした。

「おかあちゃん、朝だよ~」
「もう 朝~?」
「そうだよ、起床~、起床~~ッ!」

すると すかさず ・ ・ ・

「♪おきなよ おきなよ みんな起きろ~
起きないと 大将さんに 叱られる~ッ」と
唄うのです。

因みに この歌(?) 軍隊の起床ラッパ
ムカシの人なら 誰でも知っている、
♪ ソドドド ソドドド ソドドミド~ ミミミミ ソミソミ ドドソソド~~ 
というメロディーに 言葉をあてはめたものです。


でも 起きぬけに 唄いだす人って すごくない?




お彼岸の お経廻りは終わったのに 悪い癖がついてしまって 呼びに行かないと起きなくなりました。

今朝、 「おかあちゃん、 起床~!」 と言ったら
「起床ラッパをやってちょう」 と言うので
私が 「♪おきなよ おきなよ みんな起きろ~ 起きないと 大将さんに 叱られる~ッ」 と 唄ったら
「あんたが 大将さん?」 と 嬉しそうに私を指差すのです・・・

今日から 私が 大将さん(?)です。



         今朝の富士山です。







  


Posted by kotokuji at 20:41Comments(0)

2012年03月21日

花まつりのご案内です。

檀家のお孫さんで 大工の木村元宣さんは まだ 若いけれど 腕は確かで 私のお気に入り。 
少々難しい注文もよく聴いてくれ、いつも 期待以上の物を作ってくれます。



今回の 依頼は 掲示板。 
書きこみのできるホワイトボードに ガラスと 杉皮の屋根。 
これだけの注文ですが 出来上がったものは、細工は繊細、
駐車場に設置したのですが
使い勝手も良く、興徳寺の自然とよく溶け込んでいます。 


すばらしい出来栄えに大満足です。





掲示板には 4月1日の 花まつりの 案内を 入れました。





今年は 被災地、福島県の磐木市と郡山市から 30名の小学生を ご招待し、一緒に 春の日を楽しむことになりました。
地元の 自然学校「ホールアース」 の 
「外で遊べない子どもたちに 思いっきり野外で楽しんでもらおう!」 という企画に タイアップしました。






こちらは 花まつりスタッフの ミーティング

どうしたら 子どもたちに 楽しんでもらえるか? と
しかめっ面をして
無い知恵を絞り・・・

「あれしかない!」


3年前、大受けした 
劇団「うふふ」の大型人形芝居、 『3枚のお札」を 
リニューアルして 公演することになりました。





  これは 2回目の稽古の様子。
  
バカなことしか言わないメンバーが
真剣そのもの。








福岡からは フォークデュオ 『ハル』が 今年も
そして 「不動智心流」の 宗匠をお招きし かがり火のもと 「剣舞」を 鑑賞いたします。

どうぞ お出かけくださいますよう、 謹んで ご案内申し上げます。




これは 梅の花、 今頃満開です。 後10日で 桜が咲いてくれるか、少々 心配です。








  


Posted by kotokuji at 16:06Comments(0)

2012年03月16日

生きてるってことに意味がある

久しぶりの更新です。 

1昨日 彼岸のお経廻りが ようやく一段落し 遅れていた 塔婆書きの ラストスパート、 今回は 檜の卒塔婆のデビューでもあるし、 たくさんの申し込みがあったらイイナと期待しておりましたが 計74本でした。
全部は終わっていませんが、何とか 明日で終了できる見通しがたったので、 ブログを書きます。




近所の檀家の おばあさんが亡くなられました。 光江さんといいます。 行年101歳でした。
 
光江さんは 10年前、転んで大腿部を骨折し 以後 車椅子での生活を余儀なくされました。 また この頃を境に 認知症が始まりました。 9人の子どもたちが相談して、施設へ入れようかという話も持ち上がったようですが、お嫁さんの竹子さんが 「私に見させてください」 と申し出て 自宅での介護が始まりました。 竹子さんは 小さい頃 母親を亡くし、19歳でこの家に嫁いだのですが、当時、夫の末の弟はまだ小学生、大所帯の家族の中で、光江さんも 竹子さんを 本当の子どものように 優しく接してくれたそうです。 

光江さんの 認知の症状は 時間とともに進み、 とうとう家族の誰をも認識できなくなりました。 

永い間の車椅子生活で 足は曲がったままで固まってしまい、 食事は すべてスプーンで 口に運んであげる、という重度の要介護状態で 竹子さんの負担も大変なものでした。 
ですが そんな竹子さんに 家族の全員が積極的に協力し、 今年小学校6年生の ひ孫の真由美さんにいたっては とうとう名前すら呼んでもらえなかった ひいばあちゃんの 車椅子を押し 食事の介助を引き受けました。

いつもと 同じように夕食を摂って 床につかれたのですが、 夜10時頃 竹子さんが就寝の挨拶に行くと ちょっと息が荒いな~ と感じたそう・・・ その2時間後、 眠るがままに 旅立たれたのでした・・・



枕経に伺うと、 家族全員が泣いていました。 
不謹慎な言い方ですが 充分に高齢で しかも10年間も家族に負担をかけた、 
内心ホッとしているのでは? とも思える状況なのに、 ただただ悲しいと・・・ 

8人家族が おお(大)ばあちゃん を中心に繋がっていた・・・ 
大きな犠牲を強いられたが 実は かけがえのない 大きな心の財産が得られた・・・
全員が 「おばあちゃんに 感謝です」と・・・

100歳の重度の認知症のおばあさんは 何の役にも立たない存在、という 私の薄っぺらな概念をも ひっくり返してくれました。
私も 光江さんに感謝、です。 そして 竹子さん始め、ご遺族の 全員に感謝! です。

永い間、本当にごくろうさまでした。




改めて思います。 
生きている、 そのことに 意味がある、と・・・




私が 所属する 書道塾の 本部、 『芳林書道院』の 展覧会、 
「第33回芳林展」が 横浜の 県民ホールギャラリーで開催中です。 

昨日、行って来ました。

私が通う教室からも 全員が出展されています。
表装された 作品は どれもすばらしく、
石川啄木の句 「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ・・・」
を思い出しました。

遅々たる歩みではありますが 
続けていこうと 思います。









今年も 「毎日書道展」に出品すべく 今、その稽古にとりかかったところです。




                1ケ月遅れの 梅の花、 

明後日(18日) は 興徳寺の 『彼岸会』です。 
お近くの方、 お気軽に お出かけください。

 



  


Posted by kotokuji at 22:06Comments(0)

2012年03月08日

弔電というメッセージ

お彼岸の お檀家さん廻り、 ようやく半分です。 
このところ 晴れた日は ほとんどありませんが 気温はグンと上がって、今日は 今年初めて 防寒服なしで バイクに乗りました。 少し肌寒かったですが とても懐かしい快感(?)でした。 
この日が嬉しくて、冬空にバイクに乗っているようなものです。



前回紹介した 檜の卒塔婆 のことが 地方新聞に掲載されました。 







この卒塔婆を製作しているのが 「きらめ樹(き)工房」、

NPO法人「森の蘇り」という組織の活動の一環として、
放置された 針葉樹林を 間伐を行うことによって蘇らせ 
そこから発生する間伐材を製品化することによって 
事業体としての確立を目指しています。 

採算ベースに乗せるのは 簡単なことではないでしょうが 
及ばずながら 応援したいと思います。




墨の ノリが とてもよく にじまないので
気持ちよく 塔婆書き ができます。












札幌の友人、 ハラちゃんこと 原田芳雄さんが 亡くなった。 
7年前の胃癌が再発し、全身に転移。 本人も充分に 受け入れ、私も 昨年の秋、お別れに行って来たのですが、 いざ 現実となってしまうと とてつもなく悲しい。

葬儀に 参列したかったのですが、 緊急に母を預かってくれる施設もなく、 断念し せめてもの気持ちを 弔電に託しました。

原田芳雄様
ハラちゃん! 永くて 短い おつきあいでした。
昨年、 一緒に トイカンベツに行く約束をしたのに 果たせなかったことが 悔やまれます。
今日だって ホントは きっちりと最期の顔を見て お別れしたかったです。
本当にゴメン、 そして ありがとうございました。
そちらの世界で 落ち着いたら 今度は 静岡にも スッと飛んできてきてください。
                               静岡県富士宮市  松永泰然



30年前、5年間過ごした北海道での 同僚。 そのとき 私をとても可愛がってくれた 上司もすでに他界し、 ハラちゃんが 唯一の友人だった。   
北海道が 急に遠くなってしまいました。



   雲の中から ちょっとだけ 頭を見せてくれた富士山  


Posted by kotokuji at 21:23Comments(0)

2012年03月04日

檜の卒塔婆

3月になりました。 

何となく 春めいてはきたものの 何となくの天候不順で 朝 出かけるとき バイクにしようか 車にしようか ちょっと迷って やっぱり バイクにするといった毎日・・・ 



私が 出家したのが 平成16年の11月、 見習い修行を始めて 翌年の春彼岸より 本格的に 檀家さんを廻り始めました。
ちょうど7年前の今頃です。 原付チャリの前にバスケットをつけて 檀家さん名簿 と ゼンリンの地図を入れ 一軒一軒 探し歩いたものです。 たどたどしい お経をあげて ご挨拶して お話して・・・ 1日10軒くらいだったでしょうか(今は 20軒以上です)。

朝、出発する時は とっても寒くて 子どもの頃 流行っていた
「少年ジェットは 今日も行く~~ツ!」 と気合を入れて、原チャリを飛ばしていた・・・
なんか 笑えますね・・・



 

檜の 間伐材で 作った 卒塔婆を 手に入れました。 
ずっと以前から 興味があって 地元の塔婆工場に 話を持ちかけたのですが 「まったく 採算に合わない」 と簡単に 断られました。 「高価になっても構わないから・・・」 と食い下がったのですが システムそのものが できていないと・・・
塔婆工場では 外国産の30cm角くらいの原木から 製材してゆくので ほとんど無駄がでない。 一方、間伐材は 直径20cmとしても 板にできるのは ほんの僅か、 勝負にならないのです。

ところが ひょんなことから 「間伐材の塔婆」をやっている方と出会って、 とにかくサンプルを持ってきてもらうと、 
これがまた 大変な代物で・・・ 
フシだらけ・・・
マ、ある程度 覚悟はしていたのだけど こんなに ヒドイとは・・・

「見たくれ悪くて 高いもの 買ってくださいなんて いい度胸!」 と 少々イヤミな ほめ言葉で 発注したのでした。

ところが 製品が 納入されて 驚いた、
とっても 美しいものだったのです。
努力のあとが 充分に感じられました。




卒塔婆の 上の部分は 「首題」 といって
 南無妙法蓮華経 の文字を書くので、
「せめて ここの部分だけは フシを入れないで・・・」 
と 頼んだのですが 

全体に ほとんど フシ もなく・・・

木目も とても美しい・・・

さすが 日本の檜 です。


おまけに 香りがとても イイ・・・
部屋中が檜の匂いで 包まれています。











少しばかりの フシは 愛嬌のうち、 これくらいを檀家さんにガマンしてもらって(もちろん ご先祖様は 怒らないと思います)、値段の高い部分をお寺で引き受ける(今までの 塔婆の 1,8倍です)。

  

この塔婆を使うことによって 厄介者の 間伐材が生きることになり、 ひいては 日本の森を育てる お手伝いをしていることになります。

実際に 書いてみると 墨のノリが 実にイイ、 今までの 輸入材とは 比べ物にもなりません。 これもまた 嬉しい誤算でした。






「檜の卒塔婆」 今月18日の 「彼岸会」で お披露目です。
(塔婆書きが メチャ遅れていて 少々あせっています)

なお これを読んでくださっている お寺様がおりましたら 
「檜の卒塔婆」、 是非 ご検討くださますよう、 私からも お願い申し上げます。    


Posted by kotokuji at 20:05Comments(0)