2012年05月25日

東北より

昨夜 帰りました。 相棒、ミキオちゃんとの 3泊4日でした。

石巻市教育委員会にて Mさんよりの 震災奨学金への寄付金を お渡しし、境 教育長 と 佐藤事務局長 より お話を伺いました。

石巻市で 今回の震災で 両親を失った子どもが 40人、 その中には 1歳のお子さんも・・・  この子が高校を卒業するまでの17年間を対象期間とし、 小学生に1万円、 中学生に2万円、高校生に3万円を どこに住んでいても 毎月支給する という制度です。

被災した学校も 5年以内をメドに 新しい場所に再建できるメドがついたそうです。 これから5年ということは 被災したほとんどの子どもは 仮設の学校のままで卒業を迎えるわけですが それでも 前に向けて 少しづつ進んでいるのかな、と思いました。

東北より

東松島市に ボランティアに通っている頃 知り合いになった方が 今 生活されている仮設住宅へ 支援物資を届けました。
お年寄りが多く お米を買いに行くのが大変、とのことで お米を10kg、 それに静岡のお茶と、 私の村の地酒『富士錦』を 全員にお届けしました。 

東北より

新しい就職先が見つからず、前途は多難ですが 避難所で 知り合った頃に比べると とても明るくなって それだけでも救われます。



東北より




一方 こちらは 警戒区域指定が4月に解かれた 福島県南相馬市小高区、 
住民の自宅立ち入りが自由にできるようになった(宿泊は禁止)ことから
 この5月18日、 「災害復旧ボランティアセンター」が 開設されました。
(センターは 鹿島区、にあります)




東北より

東北より
 
作業は 屋外の ヘドロの片付けでした。

庭や畑に堆積したヘドロを集め 
土のう袋に入れて 積み上げる、  
1年前、宮城県で行った作業を 
今 再び・・・






このお宅では 井戸があるので 避難所から毎日 片付けに通っているとのことですが、 

小高区の水道は整備完了まであと1年、下水道は2年かかる とのこと、 除染も進んでおらず、 住民が 本当に戻ってくるのは いつの日のことでしょうか?

東北より
 小高駅前商店街  人っ子一人 見当たらない・・・

東北より
 地震で崩壊したままの 商店

東北より
 主のいない 本屋さん  シャッターは 閉じられず、 床に 本が散乱したまま・・・

東北より
 
あの日から 時間が止まったままのように ひっそりと静まり返る・・・





地震と、津波と、原発の被害を受けた町、 南相馬市。

米農家は 今年も 作付けをしないよう 行政指導がなされ、 本来なら 田植えが施されているはずの 見渡す限りの水田も 雑草が生い茂ったまま・・・

東北より

人々はいつ帰れるのか? 農家はどうなる? 子どもたちは? 
皆が笑い会える日は 来るのか・・・・?

私たちは どう考え、 何をしたらいいのか?

東北より
    地盤沈下して 水没した 水田、 道路も 水の中


東北より

 水田に 赤い消防自動車 


*『福島県動物救護本部』 に伺いました。 それについては 次回に・・
 



Posted by kotokuji at 16:56│Comments(0)
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