2013年05月27日

祈りと復興商店街

東北へ行って来ました。 
20日の朝3時に出発し、午後3時 最初の目的地である 岩手県宮古市田老地区に到着しました。



 田老地区; 
 津波は 
 二重に築かれた
 高さ10メートルの 
 スーパー堤防を乗り越え
 全壊家屋は
 1600戸を超えた










今回訪れたのは、宮古市~山田町~大槌町~釜石市~大船渡市~陸前高田市~気仙沼市~南三陸町~女川町~石巻市の 被災地です。
行く先々の 多くの方々が犠牲になられた場所で お経をあげさせていただきました。



 町長含め 
 25名の職員が
 犠牲になった  
 大槌町役場

 祭壇が設けられています。








 





児童74名、教職員10名が犠牲になった 石巻市大川小学校と陸前高田市の追悼施設、 
相棒ミキオちゃんが お経を丸暗記して 一緒に唱えてくれたのには 感動しました。













  南三陸町防災対策庁舎;
      シスターたちの 祈り














いつも行なっている ボランティア作業はできませんでしたが 大船渡市の仮設住宅を訪ね、130軒の入居者の方々に 静岡のお茶を差し入れさせていただきました。
大船渡市には 同じ富士宮市在住の 日蓮宗のお坊さん、川名上人(かわなしょうにん)の祖母の実家があり (川名上人は)震災直後から 現在まで 月一回くらいのペースで 同地を訪れ 支援を続けています。



平山睦子さんと 母セツさん(91歳)
クリーニング店を経営していて 地震直後は
顧客から預かった商品を守ることに夢中で
気がついたら 津波が迫っていた

幸い、お隣が鉄筋コンクリートの堅牢な家だったため
屋上に避難、
お母さんとともに 膝まで水に浸かって
九死に一生を得たそう・・・



最後の日(23日)は 石巻市の被災者の方々を訪ね、夜10時半、無事 帰宅いたしました。 
走行距離 1631kmでした。

今回の旅で感じたこと、




宮古市浄土ケ浜
昭和8年3月3日、三陸沖地震の後に
建てられた 記念碑;

一 大地震の後には津浪が来る
一 大地震があったら高い所へ集れ
一 津浪に追はれたら何處でも高い所へ
一 遠くへ逃げれば津浪に追いつかれる
   常に逃げ場を用意しておけ
一 家を建てるなら津浪の来ぬ安全
   地帯へ




・このような 記念碑が あちこちに建てられています。
低い所には 家を建てない
地震が発生したら すぐに高台に避難、

この教訓が 生かされていたら・・・ 
と改めて思いました。





・ガレキは ずいぶん片付いたように見えますが、被災者の方々の今後については 見通しがたっておらず、 不便な仮設住宅での生活も まだ当分続くように思えます。 時間は人の気持ちをも 少しづつ変えてゆきますが 諦めさせるのではなく、 具体的な方向を示すことによって、 希望を与えてやって 欲しい、と思いました。 
乱暴な言い方ではありますが 一からの街づくりができる チャンスでもあります。



・被災者の方に 仕事を。 
災害復旧工事の作業員の仕事はありますが、
ある程度の年齢の女の人の事務職、フルタイムとなると 
皆無に等しいそうです。 
きちんと自立できる方向性を考えてやって欲しい。
復興住宅が完成しても、予想される家賃すら払えないのです。


・ 陸中海岸国立公園が 三陸復興国立公園、と 名称を変え(3日前のことです) 将来的には、南三陸金華山国定公園も編入される予定だそうです。 






とにかく どこをとっても 美しい、 







そして 新鮮な海の幸が 上手い、安い・・・





今回同行した
ミキオちゃんと野澤さん、

昼食は「居酒屋商店街」で、

海鮮丼にするか カキフライ定食か
それとも それとも・・・

毎回 悩む・・・




  
ひとりでも多くの方に、訪れて欲しい、と思います。 









津波の被害とは どういうことなのか 
を自分の目で確かめ、 

お線香を手向け、










そして美しい海を楽しみ、



復興商店街で お買い物をし、現地の方とお話をして・・・ 



こんな充実した 旅行は めったにあるもんじゃない。 是非、是非・・・ 



 観光バスも 多く見られるようになりました。
 (横倒しになった建物 女川町)













今後 『祈り と 復興』 のツアーが 増えてくれることを 願っています。

 
 復興のシンボル 陸前高田市の 『一本松』、 手前は 倒れた 松の根と思われる。



                            浄土ケ浜の夜明け  


Posted by kotokuji at 13:29Comments(0)

2013年05月19日

在来種と外来種

富士宮市環境部「花と緑と水の課」主催の『第4回うるおいの森植樹祭』に 参加して来ました。













  開会式







富士山南陵工業団地内部と道路との斜面約3haに イロハモミジ、フジザクラ、モミ、コブシなど富士山に自生する約20種類の苗木1万本が植えられたのが 2009年のこと。
その時は1000人のボランティアが 参加されたそうですが 以来 毎年 植樹祭が開催されています。
今回の参加者は220名、








『YUNOどんぐりの会』からは 
11名で参加しました。








 

作業内容は 除草 ですが、 雑草を除去するのではなく 外来種だけを 引き抜く・・・
ここでの外来種は ①セイタカアワダチソウ ②オオマツヨイグサ ③ヨウシュヤマゴボウ
そして 外来種ではありませんが つるが 植樹した木を傷める ということで ④クズ、 
これ以外の雑草は 自然のものなので そのままにしておくように、と説明がありました。









引きぬく外来種が 
図と 実物で 示されていました。










通常、植林後の作業は 下刈り、といって 植えた木以外の雑草は すべて刈り取りますが、「自然のものは残す」 という考え方は とても新鮮に感じました。

作業開始







 5年目の木、
 なかなか 順調な育ち方、 

 私達が 植えている木も 
 こんな風に育っていくのかと、
 想像しながら
 ちょっと嬉しくなりました。

 木の 手前にヒョロッと立っているのが
 セイタカアワダチソウ














私は 恥ずかしながら(ドングリの会 会長という名前において)植物のことを ほとんど知りません。 

どれが 在来種? どれが 外来種?

親切な方々に教えていただいて 少しづつ分かって来ました。 


贔屓目からか 在来種は何となく品がいい、 一方 外来種は 自己顕示欲が強く、したたかに見えます。 
タンポポの 在来種と セイヨウタンポポ(外来種)の見分け方も教えてもらいました。

  

写真左が 在来種、右が 外来種
苞(ほう=つぼみを包んでいた葉、写真の緑色のぶぶん)が 反り返っているのが セイヨウタンポポです。


日本本土の植物(シダ類まで含む)が約4000種、そのうち外来種(帰化植物)は ナント1200種だそうです。

私たちが 育てようとしている里山も この地方に自生する樹木にこだわって植林していますが 草のことにも 注意を払っていきたい、と改めて思いました。

「草刈機を使わない、って いい考え方だけど それをやるためには ドングリの会の会員を 最低200名に 増やさなくっちゃネ」 と 参加した会員が・・・ ごもっとも です。




4月の始め、 『花まつり』が終わってから 7月のお盆までの 約3ケ月間が 私にとって もっとも自由な時間がとれる期間なのですが、 すでに5月も半ばを過ぎてしまいました。 

明日から 久しぶりに 東北に行ってきます。 メンバーは前回と同じ ミキオちゃんこと 高瀬幹雄君と 野澤さん。
今回は 初めて 岩手の被災地を 訪問します。 朝3時の出発なので 片付けることはを ドンドンやって、 準備をして、早く寝なくっちゃ。  


Posted by kotokuji at 20:33Comments(0)

2013年05月12日

野うさぎの子

風薫る5月、 このところ ちょっと天候不順ではありますが ストーブとは 完全に決別いたしました。




『どんぐりの会』の作業も順調で  裏山の作業道も ほぼ山頂付近まで達しています。










この辺りからの 富士山は
本当に 美しい!








晴れた日は 外で 作業をします。

この日は 義弟のタカシちゃんと 駐車場の土手の 「レンギョウ」の手入れ、
「レンギョウ」は 桜の時期に黄色い花を咲かせます。 桜のピンクとのコントラストに期待して、 昨年冬、土手一面に100株 植えてみました。
ところが 茎はベタッと雑草の下に潜り込んでしまっています。 このままでは 草刈りの時期に 刈られてしまうので 添え木を立てて 一本一本結わえることにしました。 周りを慎重に鎌で刈って 立ててゆくのですが 数が数なので 結構手間のかかる仕事でした。









黄色い紐で 目立つようにしました。







・・・ 突然、 タカシちゃんの 呼ぶ声、 振り返ると、
何と 手にしていたのは・・・






何これ?


 ねずみ?

  りす?

   それとも
     うさぎ?








とりあえず 小鳥のケージに入れて じっくり観察してみたのですが・・・




どうみても 『野うさぎ』でしょう・・・

あわてて インターネットで 「野うさぎの飼い方」などで 検索してみたのですが・・・
山羊のミルクをスポイトで 一日三回、など、 ズボラな私にできることでなく、
結局 発見場所に戻してやりました。



どうして 野うさぎの子が 駐車場にいたのか? 
とっても不思議です。 

でも以前は 
裏庭で いのししの子を発見したし、 
本堂の裏手で カモシカと遭遇したこともあるし・・・ 

いよいよ『野生の王国?』









*ブラジルの友人からの メールで 私が設立した建築会社が 倒産したことを知りました。
日本に戻る決断をして 従業員を解雇し 債務などを全部整理して 私の片腕として働いていた部下に渡したのですが・・・ 私が9年、奇しくも部下が9年、でした。 
あの頃 会社は私にとって もっとも大切なもの、喜びも苦しみも全て会社とともにありました。 
ブラジルがまた遠くなりました。
  


Posted by kotokuji at 20:37Comments(0)

2013年05月06日

流鏑馬祭

世界文化遺産登録が確実になった富士山の構成資産「富士山本宮浅間大社(ほんぐうせんげんたいしゃ)」




春の祭典(5月4日~6日)は 『流鏑馬祭(やぶさめ)まつり』 と呼ばれます。



建久4年(1193)源頼朝公が富士の巻狩の折、浅間大社に流鏑馬(やぶさめ)を奉納した事に始まるそうですが、地元有志による「浅間大社流鏑馬保存会」によって 今に伝承されています。

日本に戻ってから 初めて見ました。

疾走する馬上から 弓を射る、という ホレボレとする技に感動して 以後 毎年 出かけます。



 例年にも増しての賑わい


 












毎年、5月5日の午後3時の開始です。 

早めの昼食を済ませ、会場入りして 立ったまま じっと待つこと 2時間余り・・ (座れる場所は 10時頃から 埋まってしまうそう)

 












やっと その瞬間が!






一ノ射手~
 
 二ノ射手~
  
  三ノ射手~

   





     


  

  

その後 平武者と、 次々と・・・


     その迫力たるや!!



 走る馬上から 正確に的を射抜くということは
 至難の技のように 思えます、


 まして
 その瞬間をカメラで 捉えることは・・・









 
 的に当った瞬間、

 (画面右端の 板が的です)












15騎ほどの流鏑馬がおこなわれ
無事終了



大役を務めた後の この表情、
いいですね~

お疲れ様でした




また 研鑽して
来年もまた すばらしい技を
見せて下さい。













見事 射抜かれ 割れた的、

「縁起物、『当たり的』は いかがですか~ 
家内安全・無病息災のお守りで~す。
数に限りがございます~
世界文化遺産登録の記念としてもど~ぞ~」







「生まれ変わったら 流鏑馬 ヤルゾ~ッ!」
と 今年も どっかの和尚さんは つぶやくのでした・・・


 
 

   


Posted by kotokuji at 12:35Comments(0)