2010年06月29日

ワールドカップ

早朝3時より、ワールドカップ ブラジル-チリ戦を応援。 

ブラジルは私が24年間住んだ国。 いわば第2の故郷で、体の中をブラジル人の血が流れているのでは?と思うほど、相性のよい国でもあります。 そんなわけで このときばかりは 我を忘れて大騒ぎ! 応援団が一人きりというのが、淋しいかぎりですが・・・ 結果は、3-0で完勝。 今回のチームは、派手なパフォーマンスはないけれども、その分確かな強さを感じます。 

何といっても ブラジルは過去最多の5度の優勝を誇り、毎回優勝候補の筆頭にあげられ、選手も監督も勝って当たり前という、大変な重圧の中でプレーをしています。 1998年のフランス大会、決勝でフランスに3-0で敗れたブラジルチームの特別機は、荒れ狂うファンの抗議を恐れ、ひっそりと、それも2千キロも離れた空港に着陸したのです。準優勝だって立派なものですが、負け方がいけなかった・・・ 私自身もそのときは腹をたてていました。  忘れられないのが、1982年のスペイン大会。
黄金のカルテットと呼ばれた 4人のMF(ジーコ・ソクラテス・ファルコン・トニーニョセレーゾ)を擁し、誰もが優勝を信じて疑わないという状況の中、イタリアに負けてしまった。 ショックのあまり自殺者が出た、という報道がありました。 強い・強いと言われているときは勝てなくて、南米予選をやっとのことで勝ち進んだようなときに 優勝しているのです。 今回の日本も そんな見方をすると、かなりいけるのでは と思います。

日本チームの活躍で、日本中が大いに湧き立っています。 日本人もなかなか熱いなぁ~ と嬉しくなってしまいますが、ブラジルの方はもっとすごい。まさに国を挙げて、という感じがします。 開催中は街中に国旗が翻り、ブラジルの試合ともなれば、多くの会社は休み、あるいは休憩。町から完全に車も人通りも消えてしまいます。 私は建築会社だったので、現場にTVを持ち込みました。

TVといえば・・・ 試合の日の朝、家から大きなTVを持ち出して エレベーターに乗り込んだ(当時マンションの11階に住んでいた)とたん抱えていたTVがフワッと浮き、瞬間ドスンと落ちてきた・・・ かろうじて支えたものの、心臓が止まるほどビックリしました。 一体何事が起きたのか?と見てみれば、コードの先のプラグがちぎれている。  コードを引きずったままドアが閉まり、プラグが外でTVは中、そのまま下がってしまったという訳でした。 以後、気をつけるようにしています。

今夜の、日本-パラグァイ戦、 キックオフまで 後5時間。 夕食済ませて、少し眠ろうと思います。
   


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2010年06月27日

弟の7回忌

本日、興徳寺53世加歴智照院日境上人(私の弟のことです)の7回忌法要が営まれました。 檀家さんを代表して総代さんに、他は身内だけ、 参列者30名ばかりの ささやかながらも あたたかい法要となりました。

2004年7月10日、土曜日の朝、サンパウロの誰もいない会社に出社して庭の草むしりをしていた私に妻からの電話。うわずった声で 「ケンちゃん(妻からそう呼ばれていた)落ち着いて聞いて!」・・・ 瞬間、私は「オヤジが死んだか!?」 父親は当時81歳、病気で自宅療養中でした・・・・・・・ しばらくの沈黙の後・・・ 「おとうさんじゃないの・・・」 一瞬目の前が真っ暗 「一体誰だ!? 早く言え!!」 妻の重い口が開かれて 信じられないようなことをつぶやきました。「照潤さんだって・・・」 私の弟が、6歳年下のたった一人の弟が 事故で即死? それはまさに晴天の霹靂でした。体ががたがた震えたこと、あの時の空気、空の色までを 鮮明に思い出します。

私の弟は、フーテンをしていた兄に見切りをつけ、身延山本山の高校に進学しました。それは 15歳の少年にとって、親を守るためのギリギリの選択であったはずです。 当時そのことを旅の空で聞いた私は 多少の後ろめたさを感じつつも、これで完全に自由だ、とばかり アフリカに向けて出発したのでした。

葬式に参列するため、日本に向かう飛行機の中私は、「これでオヤジが死んだら、オフクロは寺を出なければならない。老人ホームに入ってもらって、その費用をブラジルから送ることになるのだろうか?」そんなことを漠然と考えていました。 ところが、家に着き、変わり果てた弟と対面し、悲しみに落ち込む両親を見たとき、私の心がクラッとゆれた。 そこへ懇意にしてくれていた 近くのお寺のご住職が二人やってきて、信じられないようなことを言われたのです。

「いろいろ考えたんだけど、アンタがブラジルを引き払って ここに戻ってくれるのが一番いいんだけどね」  

「この私が坊さんに? ブラジルの土建屋のオヤジですよ?」

一晩考えました。 ブラジルのことはお金で解決できる。 日本のことはお金で解決できない。 極道息子が 一生に一度の親孝行のマネゴトをしてみるか! 明け方、ブラジルの妻に電話したところ 「アタシはそうなると思ってたよ、お父さんが今まで生きていてくれたってことはそういうことなのよ。」 そして「アタシは当分帰らないけどね」と付け加えました。

密葬を終え、ブラジルに戻った私は40日間で会社を清算し、戻って 11月13日、檀家さんの見守る中、出家得度し それまでの松永賢一を改め 泰然となりました。 

6年前のあの日のことは まるで昨日のことのように思い出す事ができるけれど、私にとってのこの6年間は それなりの時間でもありました。 翌年、ブラジルに残っていた妻が突然くも膜下出血で逝ってしまい、その2ケ月後に父が死にました。

弟の命をもらって生きている自分。 弟によって救われた自分。出家した時点で私の命も仏様に差し上げた、と思っています。 そしてそのことで 私は生きる事がとっても楽になりました。 すべてはそのように決まっていたし、これからもそのように生きていくのであろうと思います。



  


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2010年06月25日

ホームページ開設にあたり

念願であったホームページがようやく開設の運びとなりました。 これまで『興徳寺便り』という 檀家さん宛ての寺報の中で、自分なりのメッセージを伝えてきたつもりですが、インターネットという とてつもなくオープンな場に曝け出してしまうことは、正直いって 怖い・・・  でも 私の第二のふるさとであるブラジルや、友人が住む アメリカ・ペルー・マレーシア・中国・・・はてまた息子の住むオーストラリアなど世界中にメッセージが届けられるということは、とってもワクワクします。

記念すべき 初日に何か しゃれた言葉でもと 考えても何も浮かばず・・・ ワールドカップの寝不足のせいか? 気負わずにここから スタートします。

泰然  


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