2011年11月27日

ブラジルのアイちゃん

ブラジルのアイちゃん、こと 矢崎愛さんと ご亭主の 草村芳哉(ヨシヤ)さんが 来て一泊してくれました。 ブラジル時代の友人で 5年ぶりの再会。 前回は 新婚早々 妻の墓参に訪ねてくれたのですが、今回は 奈菜(なな)ちゃんという カワイイ女の子が加わりました。









「富士山静岡空港」 初めて行きました。 
 家から 車で 1時間半、でした。 
 飛行機が一機、泊まっていました。 
 経営は厳しいだろうナ と思いました。




アイちゃんは ジャズのピアニスト、18才で単身ブラジルに渡り、大変な努力と苦労を積み重ねて、音楽の激戦地サンパウロでプロのミュージシャンとして活躍しています。

私が最後に観た彼女のステージは、サンパウロの JAZZ CLUB,
鍛え抜かれた 細い両腕から繰り出されるサウンドは パワフルにして繊細、ベテランのミュージシャンを率いてリードする様は 貫禄すら感じさせ 思わず うなってしまいました。
 
あれから7年、今の彼女に 貫禄などと言う言葉すら、似合わないのかもしれません。



今回の訪日では 出身地の新潟、そして東京、沖縄で ライブコンサートが行われました。
ブラジルから同行した ビブラフォン奏者と 夫ヨシヤ君のSAX 、それに日本のミュージシャンの競演で ブラジル音楽、 私は 行けませんでしたが 大好評であったそう・・・





彼女がデビューした頃は 私はまるで父親のような心境で ハラハラドキドキしながら ステージを見守ったものです。 
見事に成長してくれて 本当に嬉しい。

   









ナナちゃん 2歳










久しぶりの再会で 話は尽きません。

日本とブラジルの違い、という話題になって・・・ 
レストランで ブラジルの子どもは、自分の食べたいものを自分で言うが、日本の子は お母さんがアドバイスするから始まり、日本では 赤信号は必ず停まれ、だが ブラジルでは 停まるかどうかは 本人が判断する、等々・・・ 
(夜中に 赤信号で停まろうものなら ピストル強盗に襲われる、という国なのです)

ヨシヤ君は小学校4年生で 家族でブラジルに移住した いわゆる準2世ですが、着いたときからずっとブラジルが好き、だそう・・・ もちろん アイちゃんも・・・














 ママになった アイちゃん、 とってもシアワセそう・・・
 よかった、ヨカッタ・・・












生活環境の厳しさは 日本の比ではないけれど、 人間臭い、というか 生きている、って実感があるかな~
私自身は きっぱりと未練は断ち切りました。 

でも ブラジルが とっても好き、です。






*お知らせ と お願い

11月30日、 「YUNOどんぐりの会」では 柚野小学校の児童 80名と一緒に 木を植えます。 
子どもたちに 安全な作業をしてもらうために、ひとりでも多くの お手伝いが欲しい です。 
興味のある方、都合のつく方、朝8時に 興徳寺に集合してください。


  


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2011年11月22日

楽しくなくっちゃ

今朝は 冷え込んで、本堂で6℃でした。



「がんばってますね~」 と言われる事があります。 
悪い気持ちは しませんが 「がんばっている」という思いはありません。

他人に対しては、 「がんばれ!」という言葉を使わないで、 それに替わる 具体的な言葉をかけてやるように 心がけています。
また 自分に対しても、「ヨーシ ガンバルゾ~!」 とか 「がんばってみっか~」などと 思わなくなりました。 



年のせいなのか 以前にも増して飽きっぽくて 一時的にすごく興味を覚えたものでも しばらくすると 心が動かない・・・  ひと頃 懐かしい曲を探してCDを次々と購入したことがあったのですが、結構苦労して手に入れても2~3回聴くと もうオシマイ、 たまに手にしても、もう聴きたいという気持にならないのです。 最近では その手のCDは、ほとんど買わなくなりました。

何かにくじけそうになったとき、やる気が出ないとき、あるいは やらなければならないことが多すぎて、ため息をつくようなとき、「ヨーシ、がんばるか~!」と自分に気合を入れても、それで長続きするわけでもない。 

私は 「ヨーシ、楽しんじゃおう!」と思います。 

朝の本堂の お経も、 寒中に水を被る事も 誤解を怖れずに申せば・・・「楽しい」です。
楽しいから できる、 楽しいから 長続きします。





「YUNOどんぐりの会」、先日も10名の仲間が来てくれて、汗を流してくれました。  私は、法事で 参加できませんでしたが、 とっても暑い日で、急斜面での作業は大変だったと思います。  
「楽しいから やる」 皆が そう思ってくれる会で ありたいです。






準備のできた 山

















私の 座右の銘 「困難に戯れよ」 
誰の言葉か知りませんが、ブラジル時代 お付き合いのあった ある社長さんに 教えてもらいました。

以来、困難な状況に 陥ったときは 「来たぞ、来たぞ~ッ」と、 逆に楽しむようにしています。




   この時期の夕刻、 富士山がこのように 真っ赤に染まります。 俗にいう 「赤富士」です。

  


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2011年11月17日

インデペンデンテ

昨日は 講演が2回。 
午前中は 富士市の 幼稚園のお母さんたち、 夜は 富士宮市役所にて 『富士宮人づくり講座』、 どちらも 講話が1時間、 その後 聴いてくれた方が 小グループに分かれて 感じたことを25分間ほど話し合い、最後にそれぞれの代表が コメントする、というような形式でした。




富士市では 子育て真っ最中の お母さん方に 「慈悲とインデペンデンテ」と題して、こんなことを話しました。

亡くなった妻がよく言いました。 「これからの時代を生きるものは、男であれ、女であれ、精神的にインデペンデンテでないとネ」 
インデペンデンテ(Independente)は ポルトガル語(どちらかというとインデペンデンチと発音します)、英語のインデペンデント、日本語では自立です。 

なかなか親離れできない子供、子離れできない親をよく見かけます。 

私も妻も 二人の子どもを育てる時、「18才になったら、家を出なさいヨ」と言い続けた。
彼らが18才になったとき、幸か不幸か、とてつもない貧乏だった。 二人とも時間は かかったけど、自力で大学を卒業し(長男は30歳、次男は32歳だった) それぞれに小さな会社を興した・・・ 無論 彼らの努力もあるでしょう。 でも 回りの人の支えがあればこそ、自立が可能なのです。

お母さんが わが子を思う気持、見返りを求めない愛情、自分の命と引き換えにでも守りたい 深い愛、それを私は、仏さまの慈悲に例えます。 
仏教は 生きとし生けるものの すべてが 仏さまの子供、と説きます、 そのすべてに対し 仏さまは 平等に慈悲の光りを与えてくれています。 何の見返りも求めません。

子供を自立させるために まずは お母さんの無償の愛を わが子だけでなく、少しだけ 回りの人にも おすそ分けしてあげてください、 そして 子供さんが 自分の夢を叶えるためには お友達のことも応援してあげることが 大事だよ って、教えてあげてください。 大事なことは見返りを 求めないこと、 ほとけ様がきちっと見ていて、 気がつけば 皆に支えられる人=自立した人 になっているでしょう・・・

富士宮は 『がんばれ という言葉』 というタイトルで 話しました。

どちらも その後の グループ別ディスカッションの 内容がすばらしく、私自身 大いなる学びをいただきました。



 お母さんたちの グル-プ・ミーティング
















 発表















こちらは 富士宮会場



 ・・・ 何はともあれ 重圧(?)から解放され ホッとしています。




前回にも掲載しましたが 「皇帝ダリア」です。 成長すると 3~4mにもなります。 
台風で倒れて また起き上がった、その逞しさに 脱帽!



 地面に倒れた茎が 起き上がっているのが 写真から わかるでしょうか?












 朝晩が グ~ンと冷え込んで この地特有の 里霧(私が勝手に作った名前)が見られるようになりました。





*次の日曜日(20日)は 「どんぐりの会」の作業日です。 朝8時~ 興味のある方、是非お出かけください。  11月30日、柚野小学校の児童、80名と 植樹をするための準備です。

  


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2011年11月14日

興徳寺の日興聖人

昨日は 興徳寺の「お会式」でした。
日蓮聖人の ご遺徳を偲び ご命日(10月13日)の頃、日本中の 日蓮宗系の寺院で行われるイベント、
興徳寺は、毎年 11月の第2日曜日です。





「興徳寺のお会式は、雨が降らない」と 先代住職が得意気に言っておりましたが、この日も 抜けるような晴天、





たくさんの方が お参詣してくださいました。
(興徳寺の檀家さん 200軒少々、参詣者が130名くらいです)



法要の後、いつもは 特別講師をお招きし 「法話」をしていただくのですが、 今年は、身延山大学の 学生さんたちによる お芝居を上演いたしました。





日蓮聖人の 御入滅のシーン、熱演に 涙を誘われました。


本物の坊さんが お坊さんの役を演じるのですから、これ以上のはまり役は無いわけで・・・

拍手・拍手・・・


日興聖人を 演じてくれた学生さんを紹介し・・・


  「皆さん、日蓮聖人は 今から730年前の今日、お亡くなりになりました。 そして それから7年後、この方、日興聖人が この興徳寺を作ってくださったんですよ~」
「ヘェ~ッ パチパチ・パチパチ~・・・」










庫裏にて 全員で食事、興徳寺名物 炊きこみご飯と 竹の子(春から保存しておいた)・・・







素顔は屈託のない若者たち、
「身延山大学」という おそらく日本で一番小さな大学のことを 知って欲しいと思います。

また このブログを読んでくださっている 他寺院の皆様、 今度は 皆様の お会式に 呼んであげてください。






身延山から いらしてくださった キャスト・スタッフ14名の 皆様、 おつかれさま、 ありがとうございました。
また 今回のお会式を支えてくださいました、世話人さんたち、 炊事を手伝ってくださいました おねえさまたち、 本当にありがとうございました。
おかげさまで 今年も よいお会式になりました。




                       昨日の 富士山です




 
  


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2011年11月09日

秋の1日

ブログの更新が 遅れてしまいました。 

3日前、やっと時間が とれたので、お寺の会計処理の仕事に 取り掛かったのですが、 パソコン・ソフトのトラブルで・・・




お寺の仕事は、多岐にわたっていて、それに突発的に お葬式が入ったり、来客があったりで、なかなか予定通りに 進みません。
そんな中でも 自分がもっとも興味のあることを 優先させるので、苦手な仕事が ズルズルと遅れてゆきます。会計処理が その最たるもので、7月からストップしていました。 






宗教法人は 基本的に無税です。 
だからこそ、会計処理は きちっとしたものでなければならない、
と 私は考えます。
お預かりした すべての お布施、その他の 収入を 間違いなく 記帳する、
という姿勢が大切だと思います。 
「そんなの当たり前だろう」という声が聞こえそうですが・・・
 
例えば、夏の暑い日、檀家さんのおばあさんが 「ご苦労様です、これでアイスでも買ってください」と 
千円を差し出された。 
これをきちっと寺への収入として 計上し、
所得税を払って 特別給与 として頂く・・・



誰が どのような角度から見ても まったく問題のない 出納簿を作成することが お寺を預かる者の 大切な義務だと心得ています。



で、この会計処理に ある「会計ソフト」を使っているのですが、それが 突然動かなくなってしまった・・・ サポートセンターに連絡をすると、処理の手順を書いた説明書が FAXで送られてきました。
それを見ながら 復帰を試みるのですが、最初の段階で もう分からない、

データを保存して、プログラムを削除して、フォルダを削除して、新たにインストールして、データを復帰する、 と まぁこんなことなのですが・・・


再び サポートセンターへ・・・
「あの~ どうやって 保存したらいいのかと~」 
今までの データを 全部削除してしまうのですから そりゃ慎重にもなります。

向こうはプロで こちらは シロート、 どうにも 話が かみ合わない、
 そのうちに、
「エッ エクスプローラをご存知ない? あらら~」などと言われ、
また 新たにそのあたりの資料も送ってもらって・・




結局のところ、 2日間の悪戦苦闘の結果、復帰せず・・・ 最後に パソコン自体が凍りついたような状態になったところで メーカーのサービスに 電話をしました。
昨日夕方 いつも来てくれる 営業のお兄さんが仕事の途中で寄ってくれて、ちょっと触ったら(本当に触っただけで)パソコンは動き始め、「会計ソフトのことは、門外漢ですが 私が 明日の夕方 またやってみますから それまで触らないでください」と・・・ キャノンの 勝呂君、 いい方ですね~ 



急に 暇になったので お会式に使用する包丁 10本を研いで、それから 義弟の 隆ちゃんと 山のゴミを燃やして、最後に焼き芋を作ったりと・・ 秋の1日を楽しみました。






 隆ちゃん ; 妹、千秋の ダンナさんです。 
          定年退職したので お寺の 外回りの仕事を手伝ってもらっています。 












 


結局のところ プロフェッショナルの 勝呂君がやってみても 結果は私と同じ事・・・
サポートセンターは応対せず、 明日に持ち越しです。



  





秋の風物詩 「焼き芋」、 
  
 私は さつま芋は 好きでないので ほとんど食べませんが
 母は 大好きで とても喜びます。
















  今日の 富士山; 頭に笠をかぶったので 明日は雨でしょう・・・


  


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2011年11月03日

雨の知覧より

「知覧」という地名を知ったのは 20年くらい前、 
『月光の夏』という映画





・・・ 二人の青年特攻隊員が、出撃の前に ピアノを弾きたいと、基地の近くの小学校を訪れる。 そこにあった楽譜は ベートーベンの『月光』 。  
終戦間際で 飛行機もほとんど失われ、たった6機で出撃するも、一機はエンジン不調で戻り、他は 目的(敵艦に体当たり攻撃)を果たせずして、敵機に迎撃される・・・ そして間もなく 終戦・・・     この生き残った隊員が、 戦後数十年を経て 修復されたピアノで 「月光」を弾く・・・ 

『月光』の曲は 映画全編を通して BGMとして使われており、 以来 この曲が好きになりました。 

出撃前夜、三角兵舎の横で 「オレは死にたくない・・・」という 兵士の本音、






三角兵舎の内部 :

このような 狭い所で 出撃前の 2~3日を過ごした。


 

 






特攻隊は志願であった とはいえ、そうせざるを得ない強い力が働いていた事は 事実だし、 大儀のために 命を捨てる、という美学と アキラメと 不安と 恐怖と・・・  

20歳前後の男子に このような選択をさせてしまう 戦争の狂気を 改めて思います。
























それから 特攻隊員の母、と呼ばれた 
「富屋食堂」の鳥濵トメさんのこと。

 
戦後、トメさんは 「お国のために散っていった」 特攻隊員を供養するため、草ぼうぼうとなった飛行場跡に棒杭を墓標として立て、 来る日も来る日も 参拝を続けたそうです。 その後、いろいろな方に呼びかけ、遺族の方、生き残った方、また町役場等の尽力によって「知覧特攻平和観音堂」が 建立されました。 


    知覧特攻平和観音堂    
ここで お経をあげさせていただきました。





                               知覧 武家屋敷







あの日の私の心に もっともマッチした 「雨の知覧」 でした。
  


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