2013年08月31日

サクラ逝く

愛犬サクラが 突然逝ってしまいました。




一昨日朝、身延山の 「唱題行」へ。
いつものように キャンキャンとまとわりついてきて いつもと同じように オヤツを与えたのですが、夕刻帰って 食事の世話をしようと、小屋に近づいたところ、その前でグッタリしていて ピクとも動かない。
足先は冷たいし、目に光はなく、原因も何も分からないけど、「死亡」と判断しました

茫然とした頭で 妹に連絡し 取り敢えず すのこに乗せて 物置の机に安置し 濡れたタオルで体を拭きました。 
 ところが・・・ 一時間経っても 体が暖かい・・・ もしや?と獣医にTEL すると・・・
「年齢が年齢なので 注射などで 延命しても、可哀想なだけです。 そのまま逝かせてやってください」 と・・・

白い布に包み、仏壇の前に 安置して それからしばらくの時間を 体を撫ぜながら 命の終わりの時間を共有しました。 
そして 少しづつ 体温が下がってきたことを確認して 改めて 「枕経」を勤めました。




 『通夜』、
 「サクラ」と枕を並べて フトンを敷き、
 線香を絶やさないように 朝まで・・・


 まるで 眠っているかのような 
 良き お顔でありました。
















翌日、この地方の この夏最大の猛暑日でしたが、 埋葬のための穴を掘りました。




竹の根が絡み合う地表部を 鍬とスコップで必死に掘り起こすのですが、永いこと この手の肉体労働から遠ざかっていた身体には 思いの他キツい作業でした。 

50m先で 墓地の造成工事をしており、掘削機械を頼めば わけない事なのですが、 ここはどうしても 自分の手でやろう、と思いました。 

今更ではありますが 
飼い主として 充分なことをしてやれなかった、罪ほろばしです。












いのししなどに荒らされないよう 充分な深さを確保して
枯れ草をクッション代わりに敷きました。



午後から 「葬儀」。参列者は母を含め3人でした。

「サクラさん、あなたは 平成11年11月、内房(うつぶさ)で生まれ、3歳で 興徳寺に来ました。 以来、本日まで 私たち家族の一員でした。 
あなたは 己の分をよく弁え、私たちに 癒しを与え続けてくださいました。 
それに対して、私は充分なお返しもできないまま、今日という日を迎えてしまいました。 
ですが 私たちが捧げる お経とお題目の功徳によって、あなたは今度は人間として生まれ変わるでしょう。 
その時は また会いましょう。
 この言葉をもって、引導文といたします。」   






亡くなって2日、 お米を研ぐとき、「あッ、サクラの分は要らなかったんだ」と思います。

朝一番で 「早く オヤツくれ~」と 吠える声が聞こえない・・・  とても淋しい。


                 俗名 松永サクラ  行年 十五歳


明日から いよいよ 彼岸のお経廻り、 お盆の片付けも充分できぬまま、 日中は お檀家さんを訪問し、 夜は塔婆を書く、という毎日が始まります。 暑い、ということもあって ある意味、一年でもっとも 苛酷な期間でもあります。 一日一日をしっかりと努めてゆきます。  


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2013年08月28日

ひまわり

暑い日が続いていますが 朝の空気や 渡る風に 何となく秋の訪れを感じます。

『川施餓鬼』から もう10日が 過ぎました。
興徳寺のイベントとしては 春の「花まつり」の方が 規模的には 大きいのですが スタッフにかかるウエイトは 暑さも加わって こちらの方がよほど大変です。 私自身は 参加者のリスト作成~班編成~名札作り等の準備に ギリギリまで追われました。

当日は カメラを持つ意欲もありませんでしたが すべてが終わって 全員が帰った後、この写真を撮りました。



           石段に 150基の竹灯篭がひっそりと・・・ とても美しい、 

『川施餓鬼』の片付けが終わって、すぐに 『興徳寺便り』に取り掛かり、日曜日に 妹たちに手伝ってもらって 封筒に入れました。

全部で300部、その半分を郵送し 残りはバイクで配達します。 郵送費80円x150通=12000円分の仕事に ほぼ一日かかりますが カメラ片手の気楽なオシゴトでもあります。

以下、すべて 昨日の成果です。











カメラに クローズアップ用のレンズを取り付けて
気にいった場所があれば 道端にバイクを停めて
撮影します。


この 「ひまわり」は檀家さんの入り口の 道路脇に咲いていたのですが
道に寝っ転がって シャッターを切っていたところ

檀家さんが駆けつけてきて・・・

「ダッ、ダイジョウブですか~!!!」

カメラアングルを変えるために 道路でゴロゴロ転がっている私が
遠くからは
苦しんで のたうちまわっている姿、
に 見えたらしい。

「な~んだ、写真ですか~」
と拍子抜けの様子。



一時的にせよ ご心配おかけしまして 申し訳ありませんでした。






「ひまわり」といえば 友人の 恭子さんが 私のブログを読んで 妻が ひまわりが好きだったことを知り、
この絵をプレゼントしてくれました。

洋画家 多田祐子さんの作品です。 ニューヨークに常設画廊を持ち、ヨーロッパでも活躍されている多田さんの作品は ほとんどが抽象画で これは珍しい。 かなり大きなもので 怖いので値段は聞きませんでした。



多田さんの 講演を聴かせていただいたことがあります。

「絵を描くって 自分がいかにシアワセでいられるか、の証し・・・」 
「野原や 砂漠に置いたときに ルビーのように輝く絵を描きたい」
「みなさんから 助けられ 育てられている人生です」


豊かで 輝いている ステキな女性でありました。




9月1日から お此岸のお経廻りが スタートします。 残り3日間で 効率よく 今までの片付けと これからの準備をしたいです。
でも 明日は 身延山に行ってきます。







  


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2013年08月19日

子どものエネルギー

8月16日、『川施餓鬼』が無事終了いたしました。
片づけをしながらも 何となくボ~ッとしています。 

当初 参加の申し込みが少なかったので 必死のトップセールス(?)、
「どうですか~ お宅のお孫さん、参加させませんか~」と 行く先々で 声をかけます。 
「いいことやっているんだし、しかも無料だし・・・」なんて考えはまったくの思い上がりで、来ていただけるだけで アリガタイ、と 心得ています。

《前日の準備》
テントを設営し、山から 竹を伐って 「流しソーメン」の樋、カップ、竹の箸、タイマツを作ります。

暑いなか 大変な作業ですが 見事なくらいに小気味よいリズムで 全体が仕上がってゆきます。









SBSラジオが実況中継、 
美人キャスターの訪問に 皆 大喜び・・・





          

     キャスターも一緒に 流しソーメンの試運転

《当日》



〈受付〉


結局のところ・・・
参加者の トータルは ナント 103名でした。

これだけの人数は 初めてです。



全員を6班に分け 色別の名札を用意して お迎えしました。










受付が済むと それぞれに 
竹のマイカップと 箸をつくります。

このカップで ソーメンも かき氷も 
ポン菓子も いただきます。

あらかじめ カットしておいた竹を
磨き・・・
思い思いに名前を書きます。




〈全員集合!〉



子どもたちと 最初のミーティング、
遠くは 東京、神戸から そして地元のこどもたち・・・ ワクワク感もあるし 不安もある・・・


〈流しソーメン〉




100名の子どもが一斉に食べられる「流しソーメン」って 
なかなかのものだと思う。

そこここに スタッフたちの 永年の経験と
ノウハウが生かされている。





《タイマツ作り》








こわくて、やさしいオジサンたちの 熱血指導










《かき氷・スイカ割・ポン菓子・竹トンボ教室・・・》














疲れを知らない 子どもたち、
その100人分のエネルギーをいただいた
大人たち







《法要~タイマツ行列》



 本堂にいっぱいのこどもたちに
 「ソーメンもかき氷もみ~んな オマケ、
 これからが 本番ですよ~」 と
 『川施餓鬼』の意義を 説明、
 
 とくに 今年は 『霊』についての解説を
 試みましたが
 解ってもらえたかな~?

 


その後 全員で お経を読みました。 



御宝前の灯りをいただいて 柚野小6年 ハルカさんが 点火、






 






                                      新柚野橋から すべてのタイマツを投下する。



       石段の両脇には 竹燈籠




すべてが 終わって・・・・
スタッフの慰労会、

皆 クタクタで あまり話もはずまない、

8時半くらいで 誰が言うでもなく
「そろそろ おひらきに・・・」






今年は 子ども 103名に対し スタッフが 44名、 でした。
毎年 毎年 同じことを 思います。

「子どもたちを 喜ばせたい!」 ただ それだけの目的で こんなにたくさんの 大人たちが 連日の猛暑の中 汗を流してくれたこと、
そのことに感激します。  本当にありがたいことです。 感謝! という以外 言葉もありません。

そして 子どもたちからは100人分の エネルギーを いただきました。 




いまだに 引きずっている けだるさの中で 来年に思いをはせることのできる たしかで貴重なエネルギーです。

改めまして、
「スタッフの皆様、本当にありがとうございました。 来年もヨロシク」


*今回の写真は いつもの 高瀬ミキオ君と 富士市のアマチュアカメラマン 加藤年一さんに提供していただきました。 加藤さんには 昨夜、お仕事が終わってから わざわざ届けていただいたのに 私がパソコンに向かったままで 眠ってしまい、やっと本日アップすることができました。

明日からは もうお彼岸の準備です。





  


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2013年08月09日

出家=家がない

暑い日が続いています。 

7月26日にお盆の棚経(たなぎょう)を開始して 2週間が経過しました。
この間に お葬式が 2回、 
クラクラするような 思いもいたしましたが 何とか 後4日間くらいで 終了できそうな見通しです。




先月末、『興徳寺便り100号』を発刊しました。  先代住職(父親)が 興徳寺の52世住職に就任した 昭和50年(1975年)に第1号が刊行され、平成9年(1977年)75号で 途絶えていたものを、平成19年に復刊第1号として 私が再スタートさせました。 

A-4 4ページですが 今回は特集号として 8ページ建てにしました。



改めて 先代住職の 『興徳寺だより』を 1号から ずっと読み直してみました。 
今から 40年近くも前のこと、 手書きの「ガリ版刷り」です。

こんな記事が・・・





 昭和53年発行の 第11号、
 
 父親 55歳のとき、

 当時  長男の私は
 北海道に住んでいて
 ブラジル永住を決めていました。

 次男の弟は
 大学の仏教学部を
 卒業したものの
 ファッション関係の仕事に
 憧れていたようで

 それはそれで いいだろう、
 と 思っていたようです。






今の私は 主管者として 寺を維持しています。 
ケンメイに。


お寺の住職は 主たる管理者であって それ以上の何者でもない、という事実が 案外忘れられているような気がします。





私にとっても 小さいころ お寺は 我が家でありました。

弟が亡くなって 帰る、と決めた時点でも
お店の子どもが お店を継ぐような気持ちしかありませんでした。


ところが
住職を目指して 修行を開始して間もなく
私は 興徳寺住職の 候補の一人にすぎない、
という事実に気づかされたのです。

ブラジル引き払ってきたのに
住職になれるという 保障などなかった・・・

その時に思ったのです。

それならば
この私が 次期興徳寺住職にふさわしい
と 誰もが 認めてくれるような
努力をしようと・・・ 






 「得度式」
 2004年11月13日
 54歳


「よきかな 善男子、
よく世間の無常を悟り
世俗を捨てて
菩提の道を求めよ」

 
 と お導師様が・・・




この時点で 家も 世間一般の 欲も すべて 捨てた・・・

それを 「出家」 というのです。




ふざけていたら 地獄に堕ちる、も もちろん承知のうえで 一日一日を 生きています。

でも
「どうぞ ほとけ様の お役にたたせてください、 もしも こちらで必要ない と思われたら どうぞ そちらへ お迎えください。」
と 身体も 命も すべて ほとけ様に 丸投げ、

これは ある意味 とても気楽な生き方でもあり 私には よく合っています。

『8月16日 川施餓鬼』




もう来週に迫ってきました。 
参加者を集めるのに 必死です。 
今の 子どもたちは 夏休みといえどクラブ活動や スポーツ少年団などで なかなか忙しい。 お盆休みで 親と一緒に 旅行、というケースも多い。

夏の暑い日、 スタッフの大人たちが ただ 子どもたちを喜ばせたい、という思いだけで集まってくれます。 彼らに 充実感を味わってもらうことも 私の任務です。

皆様の お近くに 小学生(もしくは幼稚園)の子どもさんが おられましたら 是非 参加を呼びかけてください。  お願いいたします



                   久しぶりの富士山です
 





  


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