2020年07月09日

50年目の遺言

毎日雨が降っています。



今回の豪雨で甚大なる被害を受けた地方の方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方々の霊位に対し謹んでご回向させていただきます。



さすがに外のお仕事はできず、もっぱら中でたまった仕事を片付けていますが、雨の隙間に、長靴はいてカメラ片手に外に出かけます。

この時期、色とりどりの花が咲いています。


《 ヤブカンゾウ 》 ”ノカンゾウ” と似ていますが、こちらは花びらが八重、境内のいたるところに咲いています。 もともと自生していたのですが、春先の第1回目の草刈りで刈り取ってしまい気づきませんでした。 3年前に長老に言われて発見、以来注意深く草を刈るようになっての結果です。 なのでとても愛おしい花です。



《 ヒメヒオウギズイセン 》 この花もいたるところに咲いています。



《 ヒメヒオウギズイセン 》 アヤメ科、とくに植えた覚えもないのですが、とんでもない所でも見かけます。



《 オキザリス・デッペイ 》 カタバミの仲間、四葉のクローバの中央が紫褐色。



《 ヤブミョウガ 》 ミョウガかと思って期待していたら、ツユクサの仲間だった。もちろん実はつかない。



《 ギボウシ 》 これもムカ~シっからある花。
 


《 キキョウ 》 母がお嫁に来た時、この場所で咲いていたそう。


もう少し増やしたいと思って、ホームセンターの園芸売り場に行き、若い店員さん(男)に、「キキョウの苗、ありますか?」と尋ねたら
「キキョウ? ですか?」 とあわててスマホで調べ始めた。
若しやと思い 「キキョウ、知らないんですか?」 と聞いたら 「知らないんです」 と答えた。
そんな時代なんだな~、と思いました。



《 カワラナデシコ 》 檀家さんの庭で種を拾って蒔きました。 河原に自生する花なので山砂で育てています。


《 ムラサキカタバミ 》 可憐な花を摘んできて、活けてみました。 


50年目の遺言

山の手入れをしていた時、雑草にうずもれた石の祠(ほこら)を発見!

瞬間、50年前の記憶がよみがえりました。

たまたま帰省していた時、入院中の父を見舞った母が 
「お父ちゃんがネ、本堂の裏に山の神様の祠があって、あれが興徳寺の ”奥の院” なので 向きをぴったり本堂の真後ろにするよう大工さんに頼んでくれって・・・」 

ちょうど本堂の改築工事で大工さんが出入りしており、その言伝(ことづて)を母は私にふってきたのでした。

「”山の神さん” の光がまっすぐ本堂に当たるように、 って・・・」 
母はあまり真剣にとらえておらず、かといって無視もできず、大工さんにどう説明したらよいかと困っていたところに
私がいた・・・

その頃の私はときたら・・・ 
できそこないの不良少年みたいなもので神様のことなどてんで信じてもおらず、
それでも頭をかきかき
「あの~この家(うち)のオヤジさんに頼まれたんだけどさ~」などといいながら 
件の祠を大工さんと見に行き依頼された事を伝えたのでした。 

確かにあの時、祠は本堂とは違う方向を向いてたけど、その後確認することもなく、そのことすら忘れてしまっていました。




今回、50年ぶりに改めて確認してみたところ、確かに本堂の後ろに位置していましたが 向きはかなりずれていました。
自然石なので調整もなかなか微妙でしたが、 やっとオヤジの願いをかなえることができました。



きれいに掃除し、毎朝、本堂でのお勤めの後、ここに参って香を手向けております。




この ”山の神” を覆っていたのが 蔓(つる)、 

苦労して1本を完全に引き抜くことができたので 「証拠写真?」を。 
(絡み合っている蔓はブチブチと切ってしまうので このように完全に引き抜けることは大変貴重です)

全長15mありました。 これはカズラの種類ですが、こんな蔓が葉をつけ、花を咲かせて無数に絡み合っていたのです。

17回忌

弟の17回忌を執り行いました。



私がブラジルから戻って16年です。 あっという間、という言い方もありますが、それなりの時間の重みです。

母の胸を去来するものは何だろうか?





最近ドローンの腕をあげた ”ミキオちゃん”が撮ってくれた 「興徳寺の全景」、 興徳寺の所有地が 約7ha  なのでこれで 1/3 くらいでしょうか。


 
興徳寺の上から富士山を望む。 私達の村 ”柚野(ゆの)”の やはり 1/3 くらいです。


*いよいよお盆の季節、手抜きせず、今できる最大の努力をします。
  


Posted by kotokuji at 17:28Comments(0)