2012年10月29日

初めてなのに懐かしい

長野ヘ行って来ました。

月に一回 母にショートステイに行ってもらい  その時が 私のフリータイム、 
やらなければならないことは 山積していますが 思い切って 一泊二日の 旅に出ました。





相棒の ミキオちゃん夫妻が 先週、安曇野市の ”けやきの森” を歩いてきて 大変感動したので 是非 私にも 見せたい、との申し出があり、案内してもらうことにしました。

私は バイク、 彼らは 車で 出発し  現地で落ち合いました。





昭和63年 新線開通によって、廃線となった 旧国鉄 篠ノ井線の明科駅から潮沢信号場までの約6kmの廃線敷が トレッキングコースとして 利用されています。

  

この廃線となった 旧路線沿いの斜面には 約3万本の ケヤキが そびえています。 これは かつて 鉄道林として 地滑り防止のため植林されたもので 全国でもまれに見る規模の ケヤキ林だそうです。

ケヤキという木は ドシーンと聳えているもの というイメージしかありませんでしたが このように 密植すると それはそれは 美しい林 です。  

「とにかく見てくれ、 絶対 気にいるから」 という ミキオちゃんのことば に納得。 
早くも 私たちの ドングリの森 にも ケヤキを・・・ と 夢を馳せました。




 これが ケヤキ林、
このような 林が 延々と 続いています。

ここまで 育つのに 50年、

長生きしなくっちゃ・・・















 トンネルが あったり

















踏み切りが あったり、











            かつては ここを  電車が 走っていたんだ・・・ と



昼食は  旧線路沿いの 「東平庵」という うどんやさん、 
ご主人の 宝喜吉(たからきよし)さんは お話好きの とっても おもしろい方で 名前に 口が 3つもあるから おしゃべりは 当然、 などと・・・ (自分で おっしゃっていました。)





でも ここの うどん も 
おやきも 
本当に おいしかった。











おやきとは  お米の採れなかったこの地方の かつての 主食

小麦粉の生地に 野菜を餡にして
囲炉裏の 灰の余熱で焼き上げる

現在では 長野の名物として
あちこちで 売られているが
灰で焼いている お店は
めったに ないはず

焼きあがるまで
薪の火加減を調節しながら
なんと 1時間半もかかる

オイイシイはずです




この 「明科(あかしな)廃敷線ウォーク」 の キャッチコピイは



           ”初めてなのに なつかしい” ・・・  いい言葉だと 思いました。




ミキオちゃんと 別れて 「白骨(しらほね)温泉」へ






白く濁った お湯 で 有名な温泉。

「丸永旅館」という小さなお宿に 
お世話になりました。



露天風呂は混浴、
ただし 女の人は タオル着用可、

ナントモ 不公平な! 
でも
そうなったら どうしょう? と思いましたが

何事も 起こりませんでした。







翌日は 乗鞍岳に 行ってみようと 思ったのですが 前日の雪で 通行止め、

朝の お風呂で知り合った 滋賀県から来ていたバイク乗りの お兄さんに 勧められ 穂高へ・・・




  頂上は 雪でした。

 

              西穂高岳です。





紅葉の 真っ盛り、
どちらかといえば バイクで すっ飛ばしていることが とっても嬉しい ワタクシですが・・・
鮮やかに彩られた 山あいの道を ゆったりと 流す、 という感じで 走り抜けてきました。



それはまさに 至福の ひとときでありました。





走行距離 560km、 富士宮に戻ってきたら 朝霧高原で 富士山が 迎えてくれました。
これはこれで やっぱりイイ、

”初めてなのに 懐かしい” 初めて 興徳寺に 来てくれた方に そういっていただけるような 
そんなお寺にしたい、 と 改めて 思いました。









  


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2012年10月23日

本堂塗装工事完成

本堂の 塗装工事が 無事終了いたしました。







30年ぶりの 塗装工事、 とくに 正面の ”鳳凰”と ”七福神” の彫刻の 損傷が 著しかったのですが 見違えるほど 美しくなりました。  before → after と ご覧下さい。






 

 



 

興徳寺の本堂は 安政6年(1859年) 火事で消失し、明治11年(1879年)民間人が所有していた 三澤寺の七面堂を購入し、現在地に 移転したものです。 1654年に建立されたとされるこの建物、築後360年ですが 手入れさえしっかりすれば まだまだ ダイジョウブ、 日本建築の優秀さを示す建物として これからも 大切に管理してゆきたいと思います。





「YUNOどんぐりの会」 
今年の 植樹祭は 11月26日(月)になりました。

柚野小学校の児童 3~6年生 100名と一緒に 木を植えます。 平日ではありますが 都合のつく方 一人でも多くのお手伝いを 御願いいたします。 (子どもたちを 見守ってくださるだけで 助かります)

山の準備も急ピッチ









作業用道路が ほぼ完成しました。















メンバーの 遠藤進さんが 
水呑み場を  作ってくれました。

文字通りの ”天然水”です。









ごくろうさまでした。
次の作業日は 10月27日、11月8日、11月24日です。

*11月26日 手伝ってくださる方は 
朝8時に 興徳寺の第二駐車場に 集合してください。






*明日から 1泊2日で 長野~岐阜方面へ 行きます。 
明日の 旧国鉄篠ノ井線の 明科廃線敷を 歩いて けやきの森 を見ることと 白骨温泉に 予約をした以外は 未定、 気ままな バイクの一人旅です。 

帰って その翌日は 河村典子さんの 富士高砂酒造での コンサート、 そして その翌日が いよいよ 
『第6回 富士山ピースフェスティバル』です。

近くの方、お誘いあって 是非とも 御来場ください。 節に お願い申し上げます。(何せ 収容能力1200名の会場なのです) 






  


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2012年10月19日

ジャナウーバ市長

先週の ちょっと肌寒い朝、朗報が飛び込んできました。
ブラジルの友人からのメールで 山田勇次さんが 市長に当選したという報せでした。
感動で いっぺんに熱くなりました。





山田勇次さんは ブラジル盛和塾の仲間で バナナの生産業者です。 
ブラジルでは バナナ王、として知られています。 王=キング と呼ばれるくらいだから 相当なものだろうとは 思うでしょうが どれくらいすごいのかというと・・・ 
所有する土地が1万ヘクタール(山手線の内側の面積が 6,300ヘクタールだそうです)そのうちの2700ヘクタールでバナナを生産し、従業員がナント2000人。





山田さんは 北海道出身、13歳のとき 両親・家族とともに 農業移民としてブラジルに渡りました。 サンパウロ市近郊のレジストロという所に入植しましたが 不慣れな土地で 人に騙され、莫大な借金を負い、しかも父親が2年後に他界。 一家を支えることになった長兄との折り合いが悪く、川沿いの誰も見向きもしない土地を借りて バナナを植えたのだそうです。
バナナの品種にこだわり また当時その地方で誰も栽培していなかった マラクジャという熱帯果実を栽培して これが 大ヒット、いわゆる成功者となりました。 



 これが マラクジャです。







ですが 子どものころ 夢にみた どこまでもまっ平らな地平線が続く土地で バナナを栽培してみたい、と ブラジル中を 旅し、そして 1300km離れた現在のジャナウーバ市へ移り住んだのが 30年前、 
家も土地も すべてを叩き売って 退路を完全に断ち切っての 新たな出発でした。

当時 この土地で バナナを栽培する者は おらず、 キチガイ扱いされてのスタートは 困難に満ちたものでしたが 不屈の信念と あふれるような情熱 そして 持ち前の研究熱心さで見事に克服し 今や この地は ブラジルの一大バナナ産地として 知られるようになりました。



その山田さんが 「この町を託せるのは ヤマダしかいない」 と強く推され いままでの恩返しと すべての住民が本当に住みやすい 町作りをと、 市長選に 立候補、 現職市長に僅差を付けて勝利したのです。 




2003年 
盛和塾日伯合同塾長例会
稲盛和夫塾長(現京セラ名誉会長)と、

左端が 私、 
右端が 山田さんです。










学歴はありません(中学も卒業していない)が、 とにかく勉強熱心で、 向上心はあくまで高く スナオで 謙虚でおごらず 本当に すばらしい人物でした。
  
こんな 日本人がいるということを知っていただきたくて 紹介させていただきました。

サンパウロ新聞の記事です。 ↓
http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/10851/menu/8/cat/105





   今朝の富士山、 うっすらと 雪化粧
  


Posted by kotokuji at 20:55Comments(0)

2012年10月14日

村の鎮守の神様の

♪村の鎮守の神様の~ きょうは めでたい おまつり日~ 
この歌を 知らない 若者に出会いました。 ちょっと ビックリでした。




ともあれ 
昨日は 村の神社の お祭りでした。  

お祭り って
どんな規模であれ 心がウキウキします。























 本殿と 土俵















子どもの お神輿や 相撲大会、 
女の子も 男の子も ごちゃ混ぜで 女の子が 勝ったりします。 負けた 男の子は クヤシイだろうな~



区ごとに 売店を出します。

我が 下柚野(しもゆの)区は
イカの姿焼き・カレーライス・チョコバナナです。



私は 日本に戻ってきた8年前から ずっと チョコバナナを 担当しています。 (昨年は お葬式で 参加できず 残念でした)


(この写真は 太田潤さんの FBより拝借しました。 太田さん ありがとうございました)

「甘くて オイシイ チョコバナナ~、 あなたと ワタシの チョコバナナ、 頭が良くなる チョコバナナ、 美人になりたきゃ チョコバナナ、 ダンナに おみやげ チョコバナナ、 お酒の オツマミ チョコバナナ、 夜のお伴にチョコバナナ~~」  

1本100円です(因みにカレーライスも100円)、 儲けなどありませんが 赤字でもない ギリギリの値段設定みたいです。

おかげさまで 夕方6時には すべての商品が 完売!で した。 



 

祭り は 8時までですが 私は お先に失礼して・・・

 



10月13日は 母の 誕生日、

例年のことですが
妹たちと 花とケーキで ささやかに
お祝いしました。






「嬉しいね~ アタシ いくつになったのかな~? 80? そんなに 生きただね~」
本当は 86歳です。

 





「シアワセだよ~
ホントに いい日だった
ありがとー」 と・・・











来年も この日が 迎えられますよう・・・




           お祭りの オハナシに ちょっと 補足・・・


この お祭りの もうひとつの 楽しみは
「山芋(やまいも)」を買うこと。


山に自生する 長芋、ですが 栽培したものと比べて
香り・ねばり、腰の強さ
どれをとっても 絶品!としか 言いようもない 

子どもの頃 裏山で よく掘ったものですが
1メートル近いものを  折らずに掘るのは 至難の業、

今では 近くの山では 見かけることもできず、 まさに 貴重品!
地元の 山芋堀名人が 毎年 出品しています。


これ1本で 2千円、
1回のトロロ汁分ですが
ちょっとした贅沢が 味わえます。



この 山芋を 復活させることが 私の 里山づくりの ひとつの 目的でもあります。


 





  


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2012年10月08日

オオスズメバチ顛末記

池の畔の 大きなヒバの木の根元から 何やら 大きな蜂が出入りするのを 発見したのは 2ケ月くらい前だったか と思います。
それが オオスズメバチであること、 とてつもなく 危険な蜂で あることも知らされました。
でも お盆~お彼岸と 多忙を極め 当初は 蜂の出入りも ポツポツで 大して気にもせず 日が過ぎてゆきました。



 

 
 木の根元の 
 又になったところが 
 巣の入り口 

 陶器の蛙の後ろに 
 盛り上がっているのが
 巣を作るために 
 蜂が砕いて
 運び出した 木くず





ところが お彼岸が終わった頃からでしょうか、 その数も グ~ンと増えて・・  
何でも 雄蜂が 羽化してきて、新しい 女王蜂が生まれてくる時期なのだそうです。

オオスズメバチとは 
日本に生息するハチ類の中で最も強力な毒をもち、かつ攻撃性も非常に高い。 毒針による攻撃のほか、同時に強力な大顎で攻撃対象の皮膚を大きくえぐるといった行動もあるので被攻撃者は大怪我をも伴う。 狩りをする時は、時速約40kmで飛翔することができ、一日約100kmもの距離を飛翔する。 (Wikipediaより)

お彼岸も終わって 時間に余裕ができたので 毎日観察していると 巣からの出入りの方向が決まっているので そこを邪魔しなければ 近づいても 何もしない、ことも分かってきて、 暑い中、一生懸命働いている蜂が なんとも可愛くなってきました。





 「キケンだから 駆除してもらったほうが いいですヨ」 と 親切に忠告してくださる方も おりましたが、 何故か気が進まない。 

かつては 魚釣りが 趣味だった 私ですが 今は まったく興味がもてません。 坊さんになってからの ビミョーな 心理変化でしょうか。

そんな私の気持ちを察してか ミキオちゃんが 知らないうちに バリケードを作ってくれました。






 
友の 優しき思いに感謝。
そして 私の 観察熱はエスカレートし 「何とか 飛んでいる 蜂を 撮ってみたい」と 至近距離50cmの接写を試みました。

オオスズメバチは 体長3~4cm、 大きいし 早いし なかなか 枠の中に納まってくれません。 こんな近い距離では ピントも なかなか合わない・・・

 





3日ほど前のことです。
子どもたちが 写生大会に来てくれて 先生たちが 更に厳重なバリケードをしてくれて 何事もなく終わったのですが・・





友人から電話があって 
「学校の教室に オオスズメバチが 飛び込んだ、 公民館にも 入ってきた」 
「それ、興徳寺の 蜂?」 
「いや それは分からないけど これから 分蜂して そこでまた新たな問題を作るわけだし、
どうだろう、 駆除しては?」

私が飼っている(?)蜂が 他の人に 不安を与えているのか・・・ と すこしばかり落ち込み、 思い切って 駆除することにしました。  殺すという行為は 慎んできたつもりだけど 無意識にも 蚊は 叩く、 ムカデを見たら その場で殺す、 と どこかで 適当な折り合いをつけてきた・・・  

せめて 蜂の最期は  自分の手で、 と 昨晩 防護服(レインコートとバイク用ヘルメット)に身を固め、万感の思いを込めて、強力殺虫剤の引き金を引いたのでした。

今朝の お勤めでは 蜂の供養。 





明るくなって見ると 池には夥しい蜂の死骸、 
だけど 驚いたことに 相も変わらず 蜂たちが せっせと 出入りを繰り返しているのでした。
巣の奥からは 今まで聞いたこともないような スザマジイ羽音、 きっとパニック状態になっているのだと 思います。
さぁ どうする!?


 






  


Posted by kotokuji at 11:43Comments(0)

2012年10月03日

紅い花なら 曼殊沙華

何ケ月ぶりに 机の横のホワイトボードの 予定欄が 空白、という日でした。 お休みを もらったようで とても嬉しくて まずは 机の周りを片付けました。 
イベントが終わる毎に ファイルしているつもりですが 「川施餓鬼」の実行プログラムの下書きと 彼岸の お塔婆書き のリストと 結婚式の シナリオなどが 入り混じっています。
郵送されて 開封もされていない 新聞・雑誌の類、 パパッと目を通して、 興味のあるところには とりあえず付箋をつけて 片付けていきますが 読み出すと 止まらなくなるので なかなか終わりません。

ちょっと 庭に出て見ました。



彼岸花が 咲いてるな~ と 横目で見ながら 写真を撮る間もなく 旬は 過ぎてしまいました。

興徳寺は 桜で有名ですが 秋の彼岸花も なかなかのものです。

(階段上から)








裏山の かつて 竹林だった斜面が 彼岸花で 真っ赤に染まることを夢見て 3年前に 球根を40kgほど 移植しました。
おかげで 今年は かなり広範囲に 咲いてくれましたが、 上の方は 猪に 食べられてしまいました。 球根には 毒があるそうですが 猪には 関係ないみたいです。 先日は 同じ場所で カモシカと遭遇しました。 こんな所まで、と驚きました。(私が寝ている部屋から 50mです)

人と動物の共生、 って 響きはいいけれど 植樹した 広葉樹の若芽が 鹿に食べられます。 今のところ 大きな被害はでていないのが サイワイですが・・・ 





 ♪紅い花なら曼殊沙華、オランダ屋敷に雨が降る~  
なんとも奇妙な歌詞と 不思議なメロディー 子供の頃 よくラジオから 流れてきた カン高い歌声は 紅い曼殊沙華の花とともに 強いインパクトとなって 記憶に残っています。 

縁起の悪い花 だとか 毒があるから触るな、 とか 言われ 少なくとも 好きな花ではなかったけど、 未だに アヤシイ魅力を秘めた 花であります。

白い彼岸花が たった一輪 


黄色みをおびた 彼岸花も あります


「曼殊沙華」という名前は お経の中に出てきます。 
鮮白柔軟な天の花。 諸天が意のままに これを雨(ふ)らす。 これを見る者は 悪業を離れるという=日蓮宗大事典より





インドには 彼岸花はないそうです。 
曼殊沙華、 どんな花なんでしょうネ?




















久しぶりに カメラを持って 遊んで 気がついたら 夕暮れ・・・





久しぶりの 解放感でした。

  


Posted by kotokuji at 17:42Comments(0)